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クジラ問題(つづき)
日本は調査捕鯨に基づいて,科学的な議論をしている.それに対し欧米のほうは動物愛護運動のような感情的な議論ばかりである.日本のマスコミはそう主張してきた.もっとも最近はクジラ問題はあまり議論されてないというか,報道されることが少ない.まるで,もう決着済みの問題であるかのようである.ちまたでは鯨肉がおおっぴらに売られ,消費されている.この論争は日本が勝ったのだ.こちらは科学的,あちらは感情的.話にもならない...
というわけで,その科学的であるが,果たしてどこまで科学なのだろうか,というのが私の疑問である.
たとえば,ミンククジラが増えすぎていて,餌であるプランクトンや小魚が減って,シロナガスクジラを圧迫している,という議論.
ミンククジラが増えているというデータは,たぶん調査捕鯨の成果なのだろう.ただし個体数の増減を評価するのに,目視でなくて捕殺が必要なのかという疑問は残る.
シロナガスが増えてない,あるいは減っている,という根拠は何だろう.まさかシロナガスを捕殺した訳ではないだろうから,これは目視によるデータなのだろうか.
プランクトンや小魚が減っているというデータはあるのだろうか? あるとして,それがミンククジラが食べたことによるものだということを示す根拠は? そしてシロナガスが増えない理由が「餌不足」によるのだという根拠は?
こうして1つずつ考えてみると,穴だらけの「推論」である.この程度の論理に納得してしまうのだとしたら,日本人は「科学的推論」の苦手な国民だと言うべきかもしれない.「理科離れ」は日本の「技術立国」にとっても黄信号であるが,本当に深刻な影響は「科学的推論」の実践経験が貧弱なことにあるのかもしれない.
さて,
上記の推論?を根拠に日本では,だからミンククジラを捕って,ミンクの個体数を減らさねばならないのだ,と主張されている.捕鯨は自然保護に貢献するのだ,と言わんばかり.このテの議論が大手をふってまかり通っているのを見るにつけ,最近の自然保護論は「狂っている」と思う.
ミンククジラが「増え過ぎ」であるという議論が十分に科学的でないことは,冷静に考えれば誰でも理解できるだろう.しかし私はもう少し話を進めたいと思う.以下は大方の賛同を得られないかもしれない私独自の議論である.
こいつは増えすぎている.害獣だ.だから駆除するのだ.そういう主張が「自然保護」の名でなされている.本人たちは自然保護をやっているつもりだろうけれど,そういう「個体数管理」は,芝生の手入れのようなものである.つまり結局のところ自然を単純化し,特定の生物が爆発的に増え易いような環境を作ることになる.そして今度は後者の生物について,「こいつは増えすぎている.だから〜」の論理が再び適用される.悪循環である.
自然保護は「資源管理」ではない.増えたぶんを刈り取れば良い,というような発想では,必ずしっぺ返しをくらう.自然をよりよく理解し,その知識を基礎にした,より深い知恵が,いま必要なのだと思う.
というわけで,その科学的であるが,果たしてどこまで科学なのだろうか,というのが私の疑問である.
たとえば,ミンククジラが増えすぎていて,餌であるプランクトンや小魚が減って,シロナガスクジラを圧迫している,という議論.
ミンククジラが増えているというデータは,たぶん調査捕鯨の成果なのだろう.ただし個体数の増減を評価するのに,目視でなくて捕殺が必要なのかという疑問は残る.
シロナガスが増えてない,あるいは減っている,という根拠は何だろう.まさかシロナガスを捕殺した訳ではないだろうから,これは目視によるデータなのだろうか.
プランクトンや小魚が減っているというデータはあるのだろうか? あるとして,それがミンククジラが食べたことによるものだということを示す根拠は? そしてシロナガスが増えない理由が「餌不足」によるのだという根拠は?
こうして1つずつ考えてみると,穴だらけの「推論」である.この程度の論理に納得してしまうのだとしたら,日本人は「科学的推論」の苦手な国民だと言うべきかもしれない.「理科離れ」は日本の「技術立国」にとっても黄信号であるが,本当に深刻な影響は「科学的推論」の実践経験が貧弱なことにあるのかもしれない.
さて,
上記の推論?を根拠に日本では,だからミンククジラを捕って,ミンクの個体数を減らさねばならないのだ,と主張されている.捕鯨は自然保護に貢献するのだ,と言わんばかり.このテの議論が大手をふってまかり通っているのを見るにつけ,最近の自然保護論は「狂っている」と思う.
ミンククジラが「増え過ぎ」であるという議論が十分に科学的でないことは,冷静に考えれば誰でも理解できるだろう.しかし私はもう少し話を進めたいと思う.以下は大方の賛同を得られないかもしれない私独自の議論である.
こいつは増えすぎている.害獣だ.だから駆除するのだ.そういう主張が「自然保護」の名でなされている.本人たちは自然保護をやっているつもりだろうけれど,そういう「個体数管理」は,芝生の手入れのようなものである.つまり結局のところ自然を単純化し,特定の生物が爆発的に増え易いような環境を作ることになる.そして今度は後者の生物について,「こいつは増えすぎている.だから〜」の論理が再び適用される.悪循環である.
自然保護は「資源管理」ではない.増えたぶんを刈り取れば良い,というような発想では,必ずしっぺ返しをくらう.自然をよりよく理解し,その知識を基礎にした,より深い知恵が,いま必要なのだと思う.
クジラ問題
環境保護団体「シー・シェパード」の船が日本の捕鯨船とぶつかって大破したというニュースが伝えられている.NHKの映像を見る限り,「シー・シェパード」の小型高速艇が日本船の通路を塞ぎ,それに日本船が衝突してしまったようである.日本政府は「シー・シェパード」が出航した港のあるオーストラリアとか,船籍を置くニュージーランドとかに抗議している.ところが先方は,暴力行為や危険行為を批判しつつも,改めて日本の捕鯨活動を非難している.
さて,
これは自然保護の問題なんだろうか?
鯨論争はずいぶん昔から続いている.さまざまな主張がからまり合って,もう手が付けられない状況である.何から話を始めればよいのだろう.思いつくままに,かいつまんで書いてみよう.私自身この問題をほとんどフォローしてないので,誤解や記憶違いも多々あると思う.お気付きの点はご指摘ください.
まず,捕鯨を禁止しているのがIWC(国際捕鯨委員会)であるという事実.この名称からすると資源(クジラ)を保護しつつ適正に利用することが,この委員会の本来の目的だろうと思う.ところが現実には,捕鯨など全く関係ないし,多分やったこともない国がたくさん加入している.それでも1票の投票権があるわけだ.実際こういう国は,捕鯨そのものの問題よりも,それぞれの友好国が喜ぶような1票を投じる可能性が高いだろう.資源の持続的利用という科学上の問題ではなく,極めて政治的に物事が決められる「委員会」だと言える.そうなってしまった大きな原因として,欧米の反捕鯨運動の高まりを挙げても良いと思う.
つまり反捕鯨運動が,理性的な話し合いの道を閉ざし,政治力学に問題解決を委ねた時点で,鯨問題は複雑怪奇なものになったと言えると思う.
日本側の問題もある.
IWCで問題になるのは多くの場合「商業捕鯨」である.もっと小規模の,民族的,伝統的な捕鯨に対しては,多少とも寛容である.日本側は,捕鯨は日本の習慣であり伝統であると主張している.確かに,仏教が四足獣を食べることを禁止しているうえ,皆が貧しかった時代には,鯨は貴重なタンパク源であっただろう.しかし日本の捕鯨活動の規模は,「伝統だから許容しましょう」というレベルのものでないことは,日本人でも察しがつく.この論理で反捕鯨国を納得させるのは難しいのでないだろうか.
というわけで,ノルウェーなどはIWCをさっさと脱退して自分の流儀で捕鯨を続けている.いっぽう日本はというと,もっと別の道を選んでしまった.つまり「商業捕鯨」をやめて,「調査捕鯨」を始めた.
その調査捕鯨が極めて不評である.英語で scientific whaling というけれど,欧米のジャーナリズムでは “scienticic” whaling と引用府つきで言及されることが多い.つまり日本が主張する調査捕鯨というのは,調査に名を借りた商業捕鯨なのだという評価が一般的である.要するに,日本人はウソつきだということだ.
いやいや.ウソではない.我々がやっているのは正真正銘の「調査」であって,商業捕鯨ではない,と主張する人もいるかもしれない.ウソをついているつもりはないかもしれないが,現実には私の身辺でも鯨肉をよく見かける.鯨肉の流通がどうなっているかを知らないけれど,「商業捕鯨ではない」という主張には説得力がないように思う.
もちろん,欧米人がウソをつかないかというと,そういう事は決してない.ただ,許容するウソの種類が違うのだろう.日本人(日本政府)は,欧米的センスからすると許容しがたいウソをついているのだ,というのが私の印象である.
一億総役人と言われるほど日本人の発想は「役人的」になっている.タテマエをしっかり守り,他方で抜け道を確保する.それで良いのだ,という発想が,日本人の間で一般的になっている.これは欧米人には許容できない態度である.このことを日本政府はもっと深刻に考える必要がある.
まだまだ続きそうですね.今日はここまでにします.
さて,
これは自然保護の問題なんだろうか?
鯨論争はずいぶん昔から続いている.さまざまな主張がからまり合って,もう手が付けられない状況である.何から話を始めればよいのだろう.思いつくままに,かいつまんで書いてみよう.私自身この問題をほとんどフォローしてないので,誤解や記憶違いも多々あると思う.お気付きの点はご指摘ください.
まず,捕鯨を禁止しているのがIWC(国際捕鯨委員会)であるという事実.この名称からすると資源(クジラ)を保護しつつ適正に利用することが,この委員会の本来の目的だろうと思う.ところが現実には,捕鯨など全く関係ないし,多分やったこともない国がたくさん加入している.それでも1票の投票権があるわけだ.実際こういう国は,捕鯨そのものの問題よりも,それぞれの友好国が喜ぶような1票を投じる可能性が高いだろう.資源の持続的利用という科学上の問題ではなく,極めて政治的に物事が決められる「委員会」だと言える.そうなってしまった大きな原因として,欧米の反捕鯨運動の高まりを挙げても良いと思う.
つまり反捕鯨運動が,理性的な話し合いの道を閉ざし,政治力学に問題解決を委ねた時点で,鯨問題は複雑怪奇なものになったと言えると思う.
日本側の問題もある.
IWCで問題になるのは多くの場合「商業捕鯨」である.もっと小規模の,民族的,伝統的な捕鯨に対しては,多少とも寛容である.日本側は,捕鯨は日本の習慣であり伝統であると主張している.確かに,仏教が四足獣を食べることを禁止しているうえ,皆が貧しかった時代には,鯨は貴重なタンパク源であっただろう.しかし日本の捕鯨活動の規模は,「伝統だから許容しましょう」というレベルのものでないことは,日本人でも察しがつく.この論理で反捕鯨国を納得させるのは難しいのでないだろうか.
というわけで,ノルウェーなどはIWCをさっさと脱退して自分の流儀で捕鯨を続けている.いっぽう日本はというと,もっと別の道を選んでしまった.つまり「商業捕鯨」をやめて,「調査捕鯨」を始めた.
その調査捕鯨が極めて不評である.英語で scientific whaling というけれど,欧米のジャーナリズムでは “scienticic” whaling と引用府つきで言及されることが多い.つまり日本が主張する調査捕鯨というのは,調査に名を借りた商業捕鯨なのだという評価が一般的である.要するに,日本人はウソつきだということだ.
いやいや.ウソではない.我々がやっているのは正真正銘の「調査」であって,商業捕鯨ではない,と主張する人もいるかもしれない.ウソをついているつもりはないかもしれないが,現実には私の身辺でも鯨肉をよく見かける.鯨肉の流通がどうなっているかを知らないけれど,「商業捕鯨ではない」という主張には説得力がないように思う.
もちろん,欧米人がウソをつかないかというと,そういう事は決してない.ただ,許容するウソの種類が違うのだろう.日本人(日本政府)は,欧米的センスからすると許容しがたいウソをついているのだ,というのが私の印象である.
一億総役人と言われるほど日本人の発想は「役人的」になっている.タテマエをしっかり守り,他方で抜け道を確保する.それで良いのだ,という発想が,日本人の間で一般的になっている.これは欧米人には許容できない態度である.このことを日本政府はもっと深刻に考える必要がある.
まだまだ続きそうですね.今日はここまでにします.
「ツキノワグマ研究所」による検証 - 4
乗鞍バスターミナルでのクマ事件について,NPO法人「日本ツキノワグマ研究所」のレポートについての,私の感想を書いています.前回の続きです.
(以下転載)
(2)開けた空間を嫌うツキノワグマが小屋に入る、ターミナルに侵入したことは隠れ場を求めた結果だろう。
(転載おわり)
建物内にいるほうが,開けた屋外よりもクマは安心するだろうと私も思う.しかし今回の例では,クマは逃げる人を追いかけて,いわば結果的に建物に入り込んだように見える.人が建物に逃げ込まなければ,クマが自主的に建物に入ったかどうかは疑わしい.
このあたりのクマの心理?が解明できれば,クマを建物に入れない方法とか,クマを檻ワナに誘導する方法とかにつながるかもしれない.
(以下転載)
(3)この事故は数百人の間にクマが突入し、その誰もがクマへの対応の知識が無く、施設側には対応する武器を用意されていない特異な状況だった。この事故では被害者を助けようとして自分が襲われ、また他の人が助けに来るという連鎖が重篤者を出さなかった要因だった。
(転載おわり)
こういう場所に位置する施設であれば,施設の人がクマについてよく知っていることは絶対に必要である.知識がなかったでは済まされない.また武器さえ置いていなかったというのは,危機感なさすぎ.あまりに不用心.
そういう状況下で K さんや T さんのとった行動は立派です.T さんの言うとおり,最善の行動だったと私も思う.ただし,何度も書くけれど,「我々は熊のことは何も知らなかった・・・」では困る.
お2人とも現地,つまりクマが普通に出没する場所で働いているのである.特に T さんは「環境パトロール員」とのことであるから,「何も知らなかった」と言われて納得する人は少ないと思う.
しかし個人がいくら勉強しても,できることは限られる.やはりバスターミナル全体で,しっかりしたクマ対策をとって欲しい.ここを起点に登山する客に対しても,クマ対策を具体的にしっかり呼び掛けて欲しい.県もしっかりバックアップして欲しい.
私のような部外者が,こうして無責任に感想を書き連ねていることについて,不愉快に思われる人もいるかもしれない.しかしクマと人とは共存して行かねばならないと私は考えている.有害獣は殺せばよいという単純な「排除の論理」ではなく,自然との共存を辛抱強く探っていく努力が必要だと思う.私の不勉強な点も多々あると思うので,そういう点を冷静にご指摘いただければ,率直に考えて行きたいと思っています.
(以下転載)
(2)開けた空間を嫌うツキノワグマが小屋に入る、ターミナルに侵入したことは隠れ場を求めた結果だろう。
(転載おわり)
建物内にいるほうが,開けた屋外よりもクマは安心するだろうと私も思う.しかし今回の例では,クマは逃げる人を追いかけて,いわば結果的に建物に入り込んだように見える.人が建物に逃げ込まなければ,クマが自主的に建物に入ったかどうかは疑わしい.
このあたりのクマの心理?が解明できれば,クマを建物に入れない方法とか,クマを檻ワナに誘導する方法とかにつながるかもしれない.
(以下転載)
(3)この事故は数百人の間にクマが突入し、その誰もがクマへの対応の知識が無く、施設側には対応する武器を用意されていない特異な状況だった。この事故では被害者を助けようとして自分が襲われ、また他の人が助けに来るという連鎖が重篤者を出さなかった要因だった。
(転載おわり)
こういう場所に位置する施設であれば,施設の人がクマについてよく知っていることは絶対に必要である.知識がなかったでは済まされない.また武器さえ置いていなかったというのは,危機感なさすぎ.あまりに不用心.
そういう状況下で K さんや T さんのとった行動は立派です.T さんの言うとおり,最善の行動だったと私も思う.ただし,何度も書くけれど,「我々は熊のことは何も知らなかった・・・」では困る.
お2人とも現地,つまりクマが普通に出没する場所で働いているのである.特に T さんは「環境パトロール員」とのことであるから,「何も知らなかった」と言われて納得する人は少ないと思う.
しかし個人がいくら勉強しても,できることは限られる.やはりバスターミナル全体で,しっかりしたクマ対策をとって欲しい.ここを起点に登山する客に対しても,クマ対策を具体的にしっかり呼び掛けて欲しい.県もしっかりバックアップして欲しい.
私のような部外者が,こうして無責任に感想を書き連ねていることについて,不愉快に思われる人もいるかもしれない.しかしクマと人とは共存して行かねばならないと私は考えている.有害獣は殺せばよいという単純な「排除の論理」ではなく,自然との共存を辛抱強く探っていく努力が必要だと思う.私の不勉強な点も多々あると思うので,そういう点を冷静にご指摘いただければ,率直に考えて行きたいと思っています.
「ツキノワグマ研究所」による検証 - 3
乗鞍バスターミナルでのクマ事件についての続きです.NPO法人「日本ツキノワグマ研究所」のレポートを2回に分けて紹介したので,今日は私のコメントを書きます.
さて.
前回の項目7で紹介した,報告者のコメントである.これは米田一彦さんの意見,少なくとも米田さんが承認した意見だと思う.それについて私が発言するのは,たとえて言うなら大学教授の見解に対し小学生が感想を述べるようなものである.その程度のものだと思って読んでいただければ幸いです.
(以下転載)
(1)この事故が発生した最初の原因は、同ターミナルの北側の魔王岳の西斜面を移動して富士見岳方面へ抜けようとしたクマが途中でバス、タクシー、登山客の群れに遭遇して興奮し、前を駐車場に遮られて東に移動しようとして第一被害者と接触して、クマが排除に出たためと思われる。
(転載おわり)
現地の地形を知らないが,このターミナルはどうやらクマの移動経路上か,そのごく近くに位置しているらしい.これが第1点.
第2点として,クマは車や人の群れに思いがけず遭遇し,登山客の群れを突っ切って逃げようとしたらしい.この時点ですでにパニック気味だったのでなかろうか.
そして第3点.登山客の1人がステッキのようなものでクマを追い払おうとした.この行為がクマの攻撃を誘発した.
第1点について.現地ではクマと人の距離が近すぎると思う.クマが人に慣れてしまう.つまり人をあまり恐れないクマができてしまう.この問題が根底にある.まさか現地では生ゴミを放置したりしてないでしょうね.
以前書いたことを繰り返すけど,北海道で実施されている通り,ウエンカムイ(人を恐れなくなったクマ)を作らないことが,やはりクマ対策の基本だろうと思う.ターミナル付近をクマがうろつくというような状況があるならば,事態を深刻に考えねばならないと思います.
第2点について.人が数十人単位でバスで乗り付けるわけだから,今まで人影まばらだった場所に突如として人間の大群が出現することになる.居合わせたクマとしては予想外のハプニングである.そしてパニックする.
第3点について.最近の登山客はステッキを持っている人が多い.山歩きには便利な小道具であるが,それでクマと戦えるわけもない.しかも動物は,少なくとも犬や馬は,ステッキのような細長いものには非常に強く反応する.
この事件の場合も,すでに脅威を感じていたクマが,登山客の1人がクマにステッキを向けたので,多分それで完全に逆上したのではないか.被害者には気の毒だが,取ってはいけない行動だったと思う.しかも,この不用意な行為が,その後のクマ被害を連鎖反応的にひき起こす「引き金」になったと考えられる.大怪我をされたようだけれど,回復したら,死んだクマさんにも手を合せてやってください.
続きは次回.
さて.
前回の項目7で紹介した,報告者のコメントである.これは米田一彦さんの意見,少なくとも米田さんが承認した意見だと思う.それについて私が発言するのは,たとえて言うなら大学教授の見解に対し小学生が感想を述べるようなものである.その程度のものだと思って読んでいただければ幸いです.
(以下転載)
(1)この事故が発生した最初の原因は、同ターミナルの北側の魔王岳の西斜面を移動して富士見岳方面へ抜けようとしたクマが途中でバス、タクシー、登山客の群れに遭遇して興奮し、前を駐車場に遮られて東に移動しようとして第一被害者と接触して、クマが排除に出たためと思われる。
(転載おわり)
現地の地形を知らないが,このターミナルはどうやらクマの移動経路上か,そのごく近くに位置しているらしい.これが第1点.
第2点として,クマは車や人の群れに思いがけず遭遇し,登山客の群れを突っ切って逃げようとしたらしい.この時点ですでにパニック気味だったのでなかろうか.
そして第3点.登山客の1人がステッキのようなものでクマを追い払おうとした.この行為がクマの攻撃を誘発した.
第1点について.現地ではクマと人の距離が近すぎると思う.クマが人に慣れてしまう.つまり人をあまり恐れないクマができてしまう.この問題が根底にある.まさか現地では生ゴミを放置したりしてないでしょうね.
以前書いたことを繰り返すけど,北海道で実施されている通り,ウエンカムイ(人を恐れなくなったクマ)を作らないことが,やはりクマ対策の基本だろうと思う.ターミナル付近をクマがうろつくというような状況があるならば,事態を深刻に考えねばならないと思います.
第2点について.人が数十人単位でバスで乗り付けるわけだから,今まで人影まばらだった場所に突如として人間の大群が出現することになる.居合わせたクマとしては予想外のハプニングである.そしてパニックする.
第3点について.最近の登山客はステッキを持っている人が多い.山歩きには便利な小道具であるが,それでクマと戦えるわけもない.しかも動物は,少なくとも犬や馬は,ステッキのような細長いものには非常に強く反応する.
この事件の場合も,すでに脅威を感じていたクマが,登山客の1人がクマにステッキを向けたので,多分それで完全に逆上したのではないか.被害者には気の毒だが,取ってはいけない行動だったと思う.しかも,この不用意な行為が,その後のクマ被害を連鎖反応的にひき起こす「引き金」になったと考えられる.大怪我をされたようだけれど,回復したら,死んだクマさんにも手を合せてやってください.
続きは次回.
「ツキノワグマ研究所」による検証 - 2
乗鞍バスターミナルでのクマ事件の経緯を,NPO法人「日本ツキノワグマ研究所」のレポートに沿って紹介している.
登山客の1人がクマともみ合い,助けに行った人たちが次々と襲われた.今回はこの続きです.
(前回からの続き)
3.次いでクマは建物に入る.
まず「パトロール員詰め所」に:
(以下転載)
パトロール員詰め所の3人が第一被害者の収容のため接近したところ三人を追跡、詰め所に入ったところクマも肩からドアの隙間から室内に入り込んだ。
(転載おわり)
次にバスターミナルに:
(以下転載)
松本電鉄のバスガイド女性(51)は客を避難誘導していていたが、入ろうとした客、数人を追ってクマが内部に飛び込んできた。一階には客が100人ほどいて騒然となり陳列品、椅子が倒れた。
(転載おわり)
4.途中をとばします.
5.最後にクマは射殺される.
このとき時刻は17時58分.事件発生から3.5時間後である.クマは体長130 cm,体重90 kg ほどのオスだった.
6.土産物店従業員男性Kさん(34)と,岐阜県環境パトロール員男性Tさん(28)の談話.
(以下転載)
ターミナルでの状況を証言したKさんは「事故発生時、駐車場には100人ぐらいとバスには400人ほどがいた。熊と客が混在している中での対応は困難だった。土産物店に閉じ込められてからは熊は静かになり、途中、大きな糞をした。」と混乱を極めた、この事故を振り返り溜息をついた。Tさんは「襲われた人は観光客が一人で、八人は施設の従業員だ。我々は熊のことは、何も知らなかったが客に被害が及ばないように最善を尽くしたつもりだ」と話した。
(転載おわり)
7.このレポートをまとめた人(米田さん?)の意見のようなものも,少し書かれている.
(以下転載: 番号付けは Ladybird による)
(1)この事故が発生した最初の原因は、同ターミナルの北側の魔王岳の西斜面を移動して富士見岳方面へ抜けようとしたクマが途中でバス、タクシー、登山客の群れに遭遇して興奮し、前を駐車場に遮られて東に移動しようとして第一被害者と接触して、クマが排除に出たためと思われる。
(2)開けた空間を嫌うツキノワグマが小屋に入る、ターミナルに侵入したことは隠れ場を求めた結果だろう。
(3)この事故は数百人の間にクマが突入し、その誰もがクマへの対応の知識が無く、施設側には対応する武器を用意されていない特異な状況だった。この事故では被害者を助けようとして自分が襲われ、また他の人が助けに来るという連鎖が重篤者を出さなかった要因だった。
(転載おわり)
8.その他
付近はそもそもクマが頻繁に出没する場所らしい.
以上がレポートの紹介である.かなり事件の全貌が見えてきた.
私のコメントを書きたいけれど,それはまた今度.
登山客の1人がクマともみ合い,助けに行った人たちが次々と襲われた.今回はこの続きです.
(前回からの続き)
3.次いでクマは建物に入る.
まず「パトロール員詰め所」に:
(以下転載)
パトロール員詰め所の3人が第一被害者の収容のため接近したところ三人を追跡、詰め所に入ったところクマも肩からドアの隙間から室内に入り込んだ。
(転載おわり)
次にバスターミナルに:
(以下転載)
松本電鉄のバスガイド女性(51)は客を避難誘導していていたが、入ろうとした客、数人を追ってクマが内部に飛び込んできた。一階には客が100人ほどいて騒然となり陳列品、椅子が倒れた。
(転載おわり)
4.途中をとばします.
5.最後にクマは射殺される.
このとき時刻は17時58分.事件発生から3.5時間後である.クマは体長130 cm,体重90 kg ほどのオスだった.
6.土産物店従業員男性Kさん(34)と,岐阜県環境パトロール員男性Tさん(28)の談話.
(以下転載)
ターミナルでの状況を証言したKさんは「事故発生時、駐車場には100人ぐらいとバスには400人ほどがいた。熊と客が混在している中での対応は困難だった。土産物店に閉じ込められてからは熊は静かになり、途中、大きな糞をした。」と混乱を極めた、この事故を振り返り溜息をついた。Tさんは「襲われた人は観光客が一人で、八人は施設の従業員だ。我々は熊のことは、何も知らなかったが客に被害が及ばないように最善を尽くしたつもりだ」と話した。
(転載おわり)
7.このレポートをまとめた人(米田さん?)の意見のようなものも,少し書かれている.
(以下転載: 番号付けは Ladybird による)
(1)この事故が発生した最初の原因は、同ターミナルの北側の魔王岳の西斜面を移動して富士見岳方面へ抜けようとしたクマが途中でバス、タクシー、登山客の群れに遭遇して興奮し、前を駐車場に遮られて東に移動しようとして第一被害者と接触して、クマが排除に出たためと思われる。
(2)開けた空間を嫌うツキノワグマが小屋に入る、ターミナルに侵入したことは隠れ場を求めた結果だろう。
(3)この事故は数百人の間にクマが突入し、その誰もがクマへの対応の知識が無く、施設側には対応する武器を用意されていない特異な状況だった。この事故では被害者を助けようとして自分が襲われ、また他の人が助けに来るという連鎖が重篤者を出さなかった要因だった。
(転載おわり)
8.その他
付近はそもそもクマが頻繁に出没する場所らしい.
以上がレポートの紹介である.かなり事件の全貌が見えてきた.
私のコメントを書きたいけれど,それはまた今度.
「ツキノワグマ研究所」による検証
前回の記事「乗鞍クマ事件: 新事実」で言及したNPO法人「日本ツキノワグマ研究所」が,乗鞍バスターミナルでのクマ事件の経緯をホームページ
http://ha3.seikyou.ne.jp/home/kmaita/
で発表している.
私はこの団体と何の関係ももたない部外者だけど,ただ1つの理由から,この団体に一目置いている.それは米田一彦さんが理事長をしているからだ.米田(ヨネダではなくてマイタと読むらしい)さんについては,私が紹介するまでもないと思う.知らない人は米田さんの著書「クマを追う」(どうぶつ社,1996年)を読んでください.実践に裏付けられた知識は,どんな理論より説得力がある.
もちろんこれは,米田さんの発言に全面的に従うべきだとか,お説を無条件に信じるべきだという意味ではない.襟を正して傾聴するに値する,それだけの重みのある発言だという趣旨です.
本題に移る.
いま話題にしているのは,「畳平バスターミナルでのクマ襲撃事故の検証」と題するページである.先日,9月18日に乗鞍岳畳平(標高2,702m)でクマが暴れて,居合わせた人のうち9人が重軽傷を負った.その事件の概略がレポートされている.以下,私が特に関心をもった箇所だけを抜き出して紹介する.
1.まず,事件の発端.
(以下転載)
乗鞍スカイラインの終点、畳平バスターミナル駐車場北側の魔王岳の中腹で14時10分過ぎ、登山者の群れを割るようにクマが走り騒ぎ声が上がった。第一被害者男性(66)は棒杖でクマを追い払おうとして顔を咬まれて重傷、クマと男性は、もみあい階段より斜面を15m、落差約3mを転げ落ちた。
(転載おわり)
まずクマが「登山者の群れを割るようにして」走った.これが発端.
「棒杖でクマを追い払おうと」した人が第一被害者.
2.そして今度は,この被害者を助けようとした人が次々と襲われる.
(以下転載)
近くの山荘経営者男性(59)が駆けつけ助けようと素手でクマを打ったが逆襲され顔、足に重傷を負った。クマはなおも経営者に馬乗りになり、地面に倒れても執拗に噛み付き、同山荘従業員男性(40)が助けに近づき蹴り、石を投げたが逆襲され頭部に重傷、同(22)も軽傷を負った。
近くに停まっていたタクシー、バスが一斉にクラクションを鳴らし、観光客の罵声が響いた。岐阜県環境パトロール員男性Tさん(28)が小型トラックで第一被害者に近寄りクラクションなどで威嚇、クマが経営者に矛先を変えて馬乗りになるとクマを押したところクマは経営者を放してトラックを攻撃した。
(転載おわり)
話の途中ですが,今日はここまで.
http://ha3.seikyou.ne.jp/home/kmaita/
で発表している.
私はこの団体と何の関係ももたない部外者だけど,ただ1つの理由から,この団体に一目置いている.それは米田一彦さんが理事長をしているからだ.米田(ヨネダではなくてマイタと読むらしい)さんについては,私が紹介するまでもないと思う.知らない人は米田さんの著書「クマを追う」(どうぶつ社,1996年)を読んでください.実践に裏付けられた知識は,どんな理論より説得力がある.
もちろんこれは,米田さんの発言に全面的に従うべきだとか,お説を無条件に信じるべきだという意味ではない.襟を正して傾聴するに値する,それだけの重みのある発言だという趣旨です.
本題に移る.
いま話題にしているのは,「畳平バスターミナルでのクマ襲撃事故の検証」と題するページである.先日,9月18日に乗鞍岳畳平(標高2,702m)でクマが暴れて,居合わせた人のうち9人が重軽傷を負った.その事件の概略がレポートされている.以下,私が特に関心をもった箇所だけを抜き出して紹介する.
1.まず,事件の発端.
(以下転載)
乗鞍スカイラインの終点、畳平バスターミナル駐車場北側の魔王岳の中腹で14時10分過ぎ、登山者の群れを割るようにクマが走り騒ぎ声が上がった。第一被害者男性(66)は棒杖でクマを追い払おうとして顔を咬まれて重傷、クマと男性は、もみあい階段より斜面を15m、落差約3mを転げ落ちた。
(転載おわり)
まずクマが「登山者の群れを割るようにして」走った.これが発端.
「棒杖でクマを追い払おうと」した人が第一被害者.
2.そして今度は,この被害者を助けようとした人が次々と襲われる.
(以下転載)
近くの山荘経営者男性(59)が駆けつけ助けようと素手でクマを打ったが逆襲され顔、足に重傷を負った。クマはなおも経営者に馬乗りになり、地面に倒れても執拗に噛み付き、同山荘従業員男性(40)が助けに近づき蹴り、石を投げたが逆襲され頭部に重傷、同(22)も軽傷を負った。
近くに停まっていたタクシー、バスが一斉にクラクションを鳴らし、観光客の罵声が響いた。岐阜県環境パトロール員男性Tさん(28)が小型トラックで第一被害者に近寄りクラクションなどで威嚇、クマが経営者に矛先を変えて馬乗りになるとクマを押したところクマは経営者を放してトラックを攻撃した。
(転載おわり)
話の途中ですが,今日はここまで.
乗鞍クマ事件: 新事実
乗鞍バスターミナル付近でクマが人を襲った事件について,いくつかの事実を初めて知った.情報源は (1) 「豊かな森のシンボル,クマたちからのメッセージ」
http://plaza.rakuten.co.jp/ishikawa2004kuma/
というブログである.このブログはさらに, (2) 「新・新・優しい雷さん」
http://ecology.sblo.jp/article/32259840.html
というブログを参照しているとのこと.そして後者の参照元は (3) 「YOMIURI ON LINE」だそうです.つまり読売新聞はきっちり報道していたのだけれど,私が細部を見逃していたのかもしれない(汗).
以下は (2) に引用されている (3) の記事:
(以下転載)
================
関係者によると、クマは午後2時過ぎ、駐車場北側の「魔王岳」登山道付近に現れた。近くにいた観光客の男性が棒でクマをたたいたところ、クマは男性に襲いかかり、男性を助けようとした近くの山荘職員らにも次々と襲いかかった。
(略)
「ロッカーで荷物を取り出していたところ、騒ぎ声がして振り向くと、クマが飛び出してきた」。現場にいた奈良県生駒市の男性会社員(62)は、当時の状況を青ざめた表情で話した。クマに向かって消火器を噴射した人もいたという。
================
(転載おわり)
そして「新・新・優しい雷さん」ご自身のコメントは:
(以下転載)
===============
体長約1メートル30のさほど大きくもない4、5歳の雄ツキノワグマでした。
(中略)
クマはそもそもが臆病な性質であるだけに、身を棒で叩かれたり消火器噴射等で挑発された場合、恐怖心からパニックになると言います。それを人間が勝手に「暴れている」と見なしているものと思われます。
===============
(転載おわり)
同ブログ9月28日の記事も,ここに転載しておきます(少し改変):
(以下転載)
===============
報道によると、この事故について、特定非営利活動法人(NPO)日本ツキノワグマ研究所は24日、現地で事故を目撃した県環境パトロール員から事情を聴くなどの検証作業を行いました。
-----------------------------------------
この日は、現場状況や観光客らの対応を検証。県乗鞍環境パトロール員の田口幸弘さん(28)が案内役となり、魔王岳への登山道入り口付近で観光客ら4人が次々と襲われた場面を再現した。
事故当時、石を投げたり、棒でつっついたりした人もいたため、米田理事長は「クマを興奮させた可能性もある」とした。
同研究所は、今回の事故での対処の問題点などを近くまとめ、同研究所のホームページで公表することにしている。
<クマ襲撃の畳平を検証 日本ツキノワグマ研9月25日(読売)>
-----------------------------------------
その他、当初の遭遇時に大声を出したとの指摘もあります。これも挑発に他なりません。
投石といい、棒での突っつきといい、消火器噴射といい、そもそものクマへの対処が無知であったことを鑑みても上記記事の見出しにあるクマ「襲撃」はクマ「挑発」のほうが正鵠を得ているのではないでしょうか?
===============
(転載おわり)
どうですか? やっと事件の全貌が見えて来たように私は思います.
そしてNPO法人「日本ツキノワグマ研究所」は,この事件の経緯をしっかり調べたようです.その結果を「同研究所のホームページで公表することにしている」そうですから,発表されたら読んでみたいと思います.本来なら行政の仕事だろうと思うので,その点いささか不満ではあります.が,とにかく,こういう作業をやってくれる民間団体がいて,本当に良かったですね.
http://plaza.rakuten.co.jp/ishikawa2004kuma/
というブログである.このブログはさらに, (2) 「新・新・優しい雷さん」
http://ecology.sblo.jp/article/32259840.html
というブログを参照しているとのこと.そして後者の参照元は (3) 「YOMIURI ON LINE」だそうです.つまり読売新聞はきっちり報道していたのだけれど,私が細部を見逃していたのかもしれない(汗).
以下は (2) に引用されている (3) の記事:
(以下転載)
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関係者によると、クマは午後2時過ぎ、駐車場北側の「魔王岳」登山道付近に現れた。近くにいた観光客の男性が棒でクマをたたいたところ、クマは男性に襲いかかり、男性を助けようとした近くの山荘職員らにも次々と襲いかかった。
(略)
「ロッカーで荷物を取り出していたところ、騒ぎ声がして振り向くと、クマが飛び出してきた」。現場にいた奈良県生駒市の男性会社員(62)は、当時の状況を青ざめた表情で話した。クマに向かって消火器を噴射した人もいたという。
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(転載おわり)
そして「新・新・優しい雷さん」ご自身のコメントは:
(以下転載)
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体長約1メートル30のさほど大きくもない4、5歳の雄ツキノワグマでした。
(中略)
クマはそもそもが臆病な性質であるだけに、身を棒で叩かれたり消火器噴射等で挑発された場合、恐怖心からパニックになると言います。それを人間が勝手に「暴れている」と見なしているものと思われます。
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(転載おわり)
同ブログ9月28日の記事も,ここに転載しておきます(少し改変):
(以下転載)
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報道によると、この事故について、特定非営利活動法人(NPO)日本ツキノワグマ研究所は24日、現地で事故を目撃した県環境パトロール員から事情を聴くなどの検証作業を行いました。
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この日は、現場状況や観光客らの対応を検証。県乗鞍環境パトロール員の田口幸弘さん(28)が案内役となり、魔王岳への登山道入り口付近で観光客ら4人が次々と襲われた場面を再現した。
事故当時、石を投げたり、棒でつっついたりした人もいたため、米田理事長は「クマを興奮させた可能性もある」とした。
同研究所は、今回の事故での対処の問題点などを近くまとめ、同研究所のホームページで公表することにしている。
<クマ襲撃の畳平を検証 日本ツキノワグマ研9月25日(読売)>
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その他、当初の遭遇時に大声を出したとの指摘もあります。これも挑発に他なりません。
投石といい、棒での突っつきといい、消火器噴射といい、そもそものクマへの対処が無知であったことを鑑みても上記記事の見出しにあるクマ「襲撃」はクマ「挑発」のほうが正鵠を得ているのではないでしょうか?
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(転載おわり)
どうですか? やっと事件の全貌が見えて来たように私は思います.
そしてNPO法人「日本ツキノワグマ研究所」は,この事件の経緯をしっかり調べたようです.その結果を「同研究所のホームページで公表することにしている」そうですから,発表されたら読んでみたいと思います.本来なら行政の仕事だろうと思うので,その点いささか不満ではあります.が,とにかく,こういう作業をやってくれる民間団体がいて,本当に良かったですね.
人を襲うクマ
つい先日,NHKの朝の番組で,この問題を取り上げていた.番組の導入部は,やはり9月19日に「ひだ丹生川乗鞍バスターミナル」で,観光客ら男女9人がクマに襲われた事件だった.クマが積極的に人を襲うという,理解しにくい事件である.私の別ブロク「高知に自然史博物館を」の記事を以下にペーストする.
私の理解では,クマが人に近づく理由は2つに大別される.1つはクマが何か「守りたいもの」をもっているとき.もう1つは食物を求めて人に接近する場合.前者の場合クマは最初から人を襲う目的で寄って来る.後者の場合はいきがかり上,つまり結果的に人を襲ってしまう.
(以下転送)
私は山歩きをよくするけれど,幸運にしてクマと遭遇した経験はない.つまりクマに関する実践経験はゼロである.その程度の軽さで,これを書いています.
ヘレロ著,嶋田・大山訳「ベア・アタックス」(北大図書刊行会)は,人間とクマの遭遇について,さまざまな事例を紹介している.たいへん示唆に富む本であるが,なぜクマが人を襲うのか,どうしたら襲撃を逃れられるか,といったことを一般的に述べるには至ってない.しかしクマと遭遇する可能性のある人は是非読んでおくべき本である.
それにしても,こうした事例研究が日本ではもっと活発に行われねばならないと思う.人がクマに襲われたら,せめて専門家の調査チームを作って,なぜ襲われたのか,どういう行動をとるべきだったか等のことを解明する努力をして欲しい.そういう事例を集めた資料をぜひ作って欲しい.現状は,警察が調書をとってそれで終り.マスコミもクマ被害を書き立てるだけ.これでは何年経ってもクマ被害は減らない.
上記の本によると,クマはシカの死骸を見つけると軽く土をかける.そして「これは自分のものだ」と勝手に決めて,それに近付く動物を襲う.そこにシカの死骸があることなど知るよしもない人間は,現場に接近してクマに襲われる.たぶん同じような状況が子連れグマの場合にもおこる.この場合クマが守りたいのは食物ではなく子グマたちである.しかし,いずれにせよクマは何かを守りたいために人間を襲うことがある.
私の想像であるが,何かを守るため襲ってくるクマに対しては,自分は無害であることを見せればよいのでないだろうか.クマに会ったら「死んだふり」をすれば良い,という昔話は,そういう点で一面の真理かもしれない.ただし死んだふりをした場合でもクマは長いツメのある手でひっくり返したり,噛み付いてみたりするだろうから,相当ひどい目に逢うことは覚悟せねばならない.少なくとも頭や首すじ,顔などは,何かでしっかり防護しておく必要がある.そうすれば運が良ければ腕一本失う程度ですむ,かもしれない.
一般論として,死んだふりは良い選択肢ではない.クマが人間に接近するのは大抵の場合,何かを守りたいが故ではなく,食物を求めてのことだろう.そういう場合に,自分は無力であることを宣伝しても,クマが立ち去ると思えない.
むしろ逆効果の可能性すらある.クマは動物を襲って殺して食べたりは普通しないようだが,動物の死骸はクマにとっては食物である.だから死んだふりは,それこそ大変な結果を招きかねない.
かと言って,逃げるのも良くない.犬と同じで,このテの動物の多くは,逃げるものを追いかける習性がある.クマより早く走れる人は,多分あまりいない.
ではどういう行動をとるのが正解か? そこからが難しいので,私もこれ以上は書けません.
クマに遭遇したら,
- 大声をあげて威嚇すべきか,静かに後退すべきか?
- まっすぐクマをにらみつけるべきか,目を合わさないようにすべきか?
さて,どうでしょう?
- とりあえず写真を撮る.
やってみたければどうぞ,と言うしかありませんが・・・
- 木に昇る.
これは意外に正解かもしれない.もちろんツキノワグマは木に登ることができる.しかしクマの必殺ワザ - 後足で立ち上がって手を使って攻撃する - は封じることができる.
そもそも,山でクマに遭遇しないためには,
- 声を出したり音をたてて,人間がいることをクマに知らせる
というのが一応は正解です.しかし後述するウェンカムイの場合は,これでは却ってクマを呼び寄せることになる.
話題を変えます.
日本で最近よく言われていることは,クマの被害が出るのは,人間に接近することを恐れなくなったクマがいるからである.多くの場合,最初は食べ物につられて人間に接近するのだろう.頭の中に「人がいる」=「食べ物がある」という公式ができてしまったクマは,食べ物への誘惑が警戒心に勝って,人間に接近してくる.農家の作物であれ,登山者の弁当であれ,はたまた釣り人の魚であれ.
とにかく食物の獲得に成功したら,たぶん同じ行動を繰り返すことになる.そしてある日,人に接近しすぎたことに気づいたとき,クマは人を攻撃して,いわば血路を開いて逃げようとする.または興奮してしまって,やみくもに人を襲う.これが「乗鞍バスターミナル」の事件でしょう(私の想像です).
とにかく,人を恐れなくなったクマは非常に始末が悪い.そういうクマを北海道ではウェンカムイ(悪い神)と呼んでいるらしい.ウェンカムイを作らないことがクマ対策の基本である.そのためには「人がいる」=「食べ物がある」という公式をクマが学習しないよう注意する必要がある.登山者は山に食物を残さないこと.農家は・・・どうすれば良いんでしょうね?
不幸にして人を恐れなくなってしまったクマは殺す.または捕獲して散々いじめて,人間の怖さを学習してもらう,というような方法も現在ではとられているらしい.
えーと.
ウェンカムイとは北海道のヒグマについての言葉である.本土のツキノワグマについては,そういう表現は使わないのだ,というツッコミがあると思う.はい,その通りです.
クマによる人身被害について,ごちゃごちゃと書いてみました.まとまりのない文章でごめんなさい.
私の理解では,クマが人に近づく理由は2つに大別される.1つはクマが何か「守りたいもの」をもっているとき.もう1つは食物を求めて人に接近する場合.前者の場合クマは最初から人を襲う目的で寄って来る.後者の場合はいきがかり上,つまり結果的に人を襲ってしまう.
(以下転送)
私は山歩きをよくするけれど,幸運にしてクマと遭遇した経験はない.つまりクマに関する実践経験はゼロである.その程度の軽さで,これを書いています.
ヘレロ著,嶋田・大山訳「ベア・アタックス」(北大図書刊行会)は,人間とクマの遭遇について,さまざまな事例を紹介している.たいへん示唆に富む本であるが,なぜクマが人を襲うのか,どうしたら襲撃を逃れられるか,といったことを一般的に述べるには至ってない.しかしクマと遭遇する可能性のある人は是非読んでおくべき本である.
それにしても,こうした事例研究が日本ではもっと活発に行われねばならないと思う.人がクマに襲われたら,せめて専門家の調査チームを作って,なぜ襲われたのか,どういう行動をとるべきだったか等のことを解明する努力をして欲しい.そういう事例を集めた資料をぜひ作って欲しい.現状は,警察が調書をとってそれで終り.マスコミもクマ被害を書き立てるだけ.これでは何年経ってもクマ被害は減らない.
上記の本によると,クマはシカの死骸を見つけると軽く土をかける.そして「これは自分のものだ」と勝手に決めて,それに近付く動物を襲う.そこにシカの死骸があることなど知るよしもない人間は,現場に接近してクマに襲われる.たぶん同じような状況が子連れグマの場合にもおこる.この場合クマが守りたいのは食物ではなく子グマたちである.しかし,いずれにせよクマは何かを守りたいために人間を襲うことがある.
私の想像であるが,何かを守るため襲ってくるクマに対しては,自分は無害であることを見せればよいのでないだろうか.クマに会ったら「死んだふり」をすれば良い,という昔話は,そういう点で一面の真理かもしれない.ただし死んだふりをした場合でもクマは長いツメのある手でひっくり返したり,噛み付いてみたりするだろうから,相当ひどい目に逢うことは覚悟せねばならない.少なくとも頭や首すじ,顔などは,何かでしっかり防護しておく必要がある.そうすれば運が良ければ腕一本失う程度ですむ,かもしれない.
一般論として,死んだふりは良い選択肢ではない.クマが人間に接近するのは大抵の場合,何かを守りたいが故ではなく,食物を求めてのことだろう.そういう場合に,自分は無力であることを宣伝しても,クマが立ち去ると思えない.
むしろ逆効果の可能性すらある.クマは動物を襲って殺して食べたりは普通しないようだが,動物の死骸はクマにとっては食物である.だから死んだふりは,それこそ大変な結果を招きかねない.
かと言って,逃げるのも良くない.犬と同じで,このテの動物の多くは,逃げるものを追いかける習性がある.クマより早く走れる人は,多分あまりいない.
ではどういう行動をとるのが正解か? そこからが難しいので,私もこれ以上は書けません.
クマに遭遇したら,
- 大声をあげて威嚇すべきか,静かに後退すべきか?
- まっすぐクマをにらみつけるべきか,目を合わさないようにすべきか?
さて,どうでしょう?
- とりあえず写真を撮る.
やってみたければどうぞ,と言うしかありませんが・・・
- 木に昇る.
これは意外に正解かもしれない.もちろんツキノワグマは木に登ることができる.しかしクマの必殺ワザ - 後足で立ち上がって手を使って攻撃する - は封じることができる.
そもそも,山でクマに遭遇しないためには,
- 声を出したり音をたてて,人間がいることをクマに知らせる
というのが一応は正解です.しかし後述するウェンカムイの場合は,これでは却ってクマを呼び寄せることになる.
話題を変えます.
日本で最近よく言われていることは,クマの被害が出るのは,人間に接近することを恐れなくなったクマがいるからである.多くの場合,最初は食べ物につられて人間に接近するのだろう.頭の中に「人がいる」=「食べ物がある」という公式ができてしまったクマは,食べ物への誘惑が警戒心に勝って,人間に接近してくる.農家の作物であれ,登山者の弁当であれ,はたまた釣り人の魚であれ.
とにかく食物の獲得に成功したら,たぶん同じ行動を繰り返すことになる.そしてある日,人に接近しすぎたことに気づいたとき,クマは人を攻撃して,いわば血路を開いて逃げようとする.または興奮してしまって,やみくもに人を襲う.これが「乗鞍バスターミナル」の事件でしょう(私の想像です).
とにかく,人を恐れなくなったクマは非常に始末が悪い.そういうクマを北海道ではウェンカムイ(悪い神)と呼んでいるらしい.ウェンカムイを作らないことがクマ対策の基本である.そのためには「人がいる」=「食べ物がある」という公式をクマが学習しないよう注意する必要がある.登山者は山に食物を残さないこと.農家は・・・どうすれば良いんでしょうね?
不幸にして人を恐れなくなってしまったクマは殺す.または捕獲して散々いじめて,人間の怖さを学習してもらう,というような方法も現在ではとられているらしい.
えーと.
ウェンカムイとは北海道のヒグマについての言葉である.本土のツキノワグマについては,そういう表現は使わないのだ,というツッコミがあると思う.はい,その通りです.
クマによる人身被害について,ごちゃごちゃと書いてみました.まとまりのない文章でごめんなさい.
ダムの功罪,のつづき
ダムによる利水と治水について書いている.今回は治水について.
「洪水の危険性」は公共事業を推進する側にとって,水戸黄門様の印篭のように便利な道具だった.これを掲げさえすれば,大抵の反対論は引っ込まざるをえない.「もし洪水が起って被害が出たらどうするのだ」「反対した人は責任をとってくれるのか」というような議論になる.しかし,この議論にも限度がなくてはならない.
公共工事の例として川に堤防を造る場合を考えてみよう.堤防は,1か所を高くすれば,他の場所で洪水が起る.そこで,最も低い箇所を工事で高くする.するとまた別の場所で洪水が起る危険が生じる.どこまで高くしてもキリがない.「これで100%安全」などという状態に達することはなく,際限なく工事が繰り返される.
昔ある高知県知事が,ある橋の架け替え工事を推進するために,「景観よりは防災を」と発言して反対派を抑えた.その同じ人が数年後,こんどは高すぎる堤防を批判して,「700年(だったか?)に1度しか起らない水害に備えるよりも,今生きている人のための景観を」と言った.
私はこの知事を非難しているのではない.推進か反対かは,どちら向けの論理も可能なのだ.要は水害の起る確率や,起った場合の被害の大きさと,現実の市民生活の快適さ(およびその他の価値,たとえば自然保護)や予算とのバランスが問題なのである.
くり返すけれど,「これで100%安心」などという状態は決して達成されない.だから堤防にしろダムにしろ,公共工事を推進する理由(口実)は常に存在する.そこで上記のようなバランスを考える必要がある.
もう1つの視点は,洪水が起ってしまってからの第2,第3の安全策を検討することだ.100%安全でない以上,洪水は起る可能性があるとしたうえでの対応策が必要である.その1つが「遊水地」(遊水池)だ.つまり洪水であふれた水をたくわえる場所(または池)である.
私の近所は今も水田が多い.水田は用水路から水を引かねばならないから,土地が低くなっている.昔はこうした水田が「遊水地」として機能していた.川からあふれた水は,まず水田にたまる.人家は水田より高い場所に建っている.水田の面積が十分に広ければ,水田の水位はあまり上がらず,水は人家の床に達することはない.
農家にすれば,せっかく育てた稲が水没するのは大変な犠牲である.しかし昔の人はこのようにして,ともかく人家を水害から守れることを知っていた.しかし最近は減反政策と宅地造成とで水田が減っている.水田をツブすことは「遊水地」をツブすことであり,洪水のときの危険を増すことだという認識がないらしい.
「遊水地」は水田でなくても構わない.最近は,はじめから「遊水地」として確保されたエリアもある.また東京の地下には,洪水の水を貯える巨大なスペースが造られていて,水はまず地下にたまり,地上部はとりあえず被害を免れるという設計になっている.地下スペースが「遊水地」として機能するわけだ.
ただし,「遊水地」は洪水対策の1つの知恵ではあるが,もちろん万能ではない.川を流れる水の量というのは,常識をはるかに越えている.「遊水地」だけで対処できるような洪水というのは,かなり軽度のものでしかない.「100%安心」ではないことを前提に,「遊水地」だけでなく,さまざまな安全策が検討されねばならない.
それ見ろ.ごちゃごちゃ言うよりダムを造ったほうが良いではないか,と言われそうですね.もう一度書くけれど,ダムを造ったところで「100%安心」は確保できません.
と言うよりも,じつはダムが「防災」に役立つのか? というと,私はおおいに疑問をもっている.じつは私の家も水害にあったことがある.その原因の1つが「ダムの放水」だった.予想外の大雨が降ってダムが満杯になると,ダムの水門を開くのである.ダムの決壊という最悪の事態を防ぐための,やむを得ない措置である.しかしダムの下流にある集落はたまったものではない.すでに満杯の川水に,ダムから放流された水が押し寄せる.こうして洪水が起る.ダムは洪水を防ぐどころか,洪水の原因になる.
おそらくダムは造られた当初には,期待通り洪水を防いでくれるのかもしれない.しかしダムには土砂がたまってくる.年数を経たダムの貯水量は,当初に比べ著しく低下する.そうなってしまったダムは困りものです.大雨が降ると洪水を防ぐどころか,すぐ満杯になって放水を始める.ダムが洪水を防ぐなどというのは「神話」に過ぎません.
「洪水の危険性」は公共事業を推進する側にとって,水戸黄門様の印篭のように便利な道具だった.これを掲げさえすれば,大抵の反対論は引っ込まざるをえない.「もし洪水が起って被害が出たらどうするのだ」「反対した人は責任をとってくれるのか」というような議論になる.しかし,この議論にも限度がなくてはならない.
公共工事の例として川に堤防を造る場合を考えてみよう.堤防は,1か所を高くすれば,他の場所で洪水が起る.そこで,最も低い箇所を工事で高くする.するとまた別の場所で洪水が起る危険が生じる.どこまで高くしてもキリがない.「これで100%安全」などという状態に達することはなく,際限なく工事が繰り返される.
昔ある高知県知事が,ある橋の架け替え工事を推進するために,「景観よりは防災を」と発言して反対派を抑えた.その同じ人が数年後,こんどは高すぎる堤防を批判して,「700年(だったか?)に1度しか起らない水害に備えるよりも,今生きている人のための景観を」と言った.
私はこの知事を非難しているのではない.推進か反対かは,どちら向けの論理も可能なのだ.要は水害の起る確率や,起った場合の被害の大きさと,現実の市民生活の快適さ(およびその他の価値,たとえば自然保護)や予算とのバランスが問題なのである.
くり返すけれど,「これで100%安心」などという状態は決して達成されない.だから堤防にしろダムにしろ,公共工事を推進する理由(口実)は常に存在する.そこで上記のようなバランスを考える必要がある.
もう1つの視点は,洪水が起ってしまってからの第2,第3の安全策を検討することだ.100%安全でない以上,洪水は起る可能性があるとしたうえでの対応策が必要である.その1つが「遊水地」(遊水池)だ.つまり洪水であふれた水をたくわえる場所(または池)である.
私の近所は今も水田が多い.水田は用水路から水を引かねばならないから,土地が低くなっている.昔はこうした水田が「遊水地」として機能していた.川からあふれた水は,まず水田にたまる.人家は水田より高い場所に建っている.水田の面積が十分に広ければ,水田の水位はあまり上がらず,水は人家の床に達することはない.
農家にすれば,せっかく育てた稲が水没するのは大変な犠牲である.しかし昔の人はこのようにして,ともかく人家を水害から守れることを知っていた.しかし最近は減反政策と宅地造成とで水田が減っている.水田をツブすことは「遊水地」をツブすことであり,洪水のときの危険を増すことだという認識がないらしい.
「遊水地」は水田でなくても構わない.最近は,はじめから「遊水地」として確保されたエリアもある.また東京の地下には,洪水の水を貯える巨大なスペースが造られていて,水はまず地下にたまり,地上部はとりあえず被害を免れるという設計になっている.地下スペースが「遊水地」として機能するわけだ.
ただし,「遊水地」は洪水対策の1つの知恵ではあるが,もちろん万能ではない.川を流れる水の量というのは,常識をはるかに越えている.「遊水地」だけで対処できるような洪水というのは,かなり軽度のものでしかない.「100%安心」ではないことを前提に,「遊水地」だけでなく,さまざまな安全策が検討されねばならない.
それ見ろ.ごちゃごちゃ言うよりダムを造ったほうが良いではないか,と言われそうですね.もう一度書くけれど,ダムを造ったところで「100%安心」は確保できません.
と言うよりも,じつはダムが「防災」に役立つのか? というと,私はおおいに疑問をもっている.じつは私の家も水害にあったことがある.その原因の1つが「ダムの放水」だった.予想外の大雨が降ってダムが満杯になると,ダムの水門を開くのである.ダムの決壊という最悪の事態を防ぐための,やむを得ない措置である.しかしダムの下流にある集落はたまったものではない.すでに満杯の川水に,ダムから放流された水が押し寄せる.こうして洪水が起る.ダムは洪水を防ぐどころか,洪水の原因になる.
おそらくダムは造られた当初には,期待通り洪水を防いでくれるのかもしれない.しかしダムには土砂がたまってくる.年数を経たダムの貯水量は,当初に比べ著しく低下する.そうなってしまったダムは困りものです.大雨が降ると洪水を防ぐどころか,すぐ満杯になって放水を始める.ダムが洪水を防ぐなどというのは「神話」に過ぎません.
ダムの功罪
八ツ場ダムの建設中止をめぐり,いろいろな声が報道されている.現地に行ってみなければ判らない問題もあると思うので,ごく一般論としてダムについて書いてみる.
ダムはほぼ例外なく,大規模な自然破壊である.なくて済むものなら,ない方が良い.
では何のためダムを造るのか? 大きなカネが動くわけだから,関係者それぞれの事情があると思う.しかし,そういう「理由」が表立って主張されることは,あまりない.ただし最近は不景気なので,景気刺激策だという理由が聞こえてくることもある.地元の発展のためにというような声もある.実際それは大きな問題である.が,地元には悪いけれど,景気刺激や地元の発展が,ダムを造る理由だなどという理屈は,どう考えても通らない.
で,景気等の話は別として,ダムを造る表向きの理由というか,口実は2つある.「利水」と「治水」である.
利水のためにダムが必要だと主張する側は,将来の水不足の可能性を指摘する.工業の発展や人口の増加から,将来の水需要の伸びを予測し,ゆえに将来は水不足が予想されるという議論だ.また最近は異常気象が多いので,予想外の降雨不足による渇水も考えられる.
一方,ダム建設に反対する側の論理は,上記のような計算が現実的に根拠のあるものかどうかということだ.現実に水が足りないのか.そうだとして,その水不足の解消はどれほど差し迫った必要性なのか.
ダムの建設費や維持費や,それらに付帯する諸経費は,結局は納税者に返ってくる.ダムの立地条件によっては,維持管理に経費がかかりすぎることもありうる.かかった余分の経費も含め,すべて何処かにシワヨセされることになる.水不足が絶対に起らないとは言えないにしても,あまり心配しすぎるのも考えものだ.
また,「利水」という以上,ダムの水が飲用に適しているかどうかも問題になる.たとえば八ツ場ダムの場合はヒ素汚染の可能性が指摘されている.まさかヒ素を含む水を水道水として供給する訳にはいかないでしょう.
ダム建設は自然の姿を一変させる.ヤマメの住んでいた渓流がコイやブラックバスの住処となる.海に降っていたアユがダムで産卵し,ダムから「遡上」したアユが本来の分布域よりはるか上流に侵入する.海や河口にしかいなかったウ(鵜)がダム湖に住み着いて,山奥で見られるようになる.だからどうだということではないが,自然界にさまざまな変化,異変をもたらすのがダムである.過去においてダム建設が人間社会に恩恵をもたらして来たことは事実であるが,自然との共存を考えれば,今後も積極的にダム建設を続けるという選択肢は,もう採用しづらいのでないだろうか.
日本人はもう十分以上に郷土の自然を痛めつけてきた.この手法にはもう先が見えている.山奥まで開発しつくしてしまったら,それより「奥」はもうない.そろそろ限界が近付いている.
水需要に話をもどすと,1つの川が養うことのできる町のサイズには,おのずと限界がある.水の利用を成りゆきまかせにするのでなく,たとえば町のつくり方にまでさかのぼって考えることも,将来は必要となるだろう.
また,さらに一歩下がって大ブロシキを広げるならば,地球上の水の分布は大きく変わる可能性がある.気候変動によって,今まで雨の多かった地方に雨が降らなくなる.また今まで雨の少なかった地方が豪雨に見舞われる.こうしたグローバルな変動に対しては,より大きな枠組みでの対応が求められる.
話がなかなか「治水」のほうに行かないので,今日はこれで終わります.
ダムはほぼ例外なく,大規模な自然破壊である.なくて済むものなら,ない方が良い.
では何のためダムを造るのか? 大きなカネが動くわけだから,関係者それぞれの事情があると思う.しかし,そういう「理由」が表立って主張されることは,あまりない.ただし最近は不景気なので,景気刺激策だという理由が聞こえてくることもある.地元の発展のためにというような声もある.実際それは大きな問題である.が,地元には悪いけれど,景気刺激や地元の発展が,ダムを造る理由だなどという理屈は,どう考えても通らない.
で,景気等の話は別として,ダムを造る表向きの理由というか,口実は2つある.「利水」と「治水」である.
利水のためにダムが必要だと主張する側は,将来の水不足の可能性を指摘する.工業の発展や人口の増加から,将来の水需要の伸びを予測し,ゆえに将来は水不足が予想されるという議論だ.また最近は異常気象が多いので,予想外の降雨不足による渇水も考えられる.
一方,ダム建設に反対する側の論理は,上記のような計算が現実的に根拠のあるものかどうかということだ.現実に水が足りないのか.そうだとして,その水不足の解消はどれほど差し迫った必要性なのか.
ダムの建設費や維持費や,それらに付帯する諸経費は,結局は納税者に返ってくる.ダムの立地条件によっては,維持管理に経費がかかりすぎることもありうる.かかった余分の経費も含め,すべて何処かにシワヨセされることになる.水不足が絶対に起らないとは言えないにしても,あまり心配しすぎるのも考えものだ.
また,「利水」という以上,ダムの水が飲用に適しているかどうかも問題になる.たとえば八ツ場ダムの場合はヒ素汚染の可能性が指摘されている.まさかヒ素を含む水を水道水として供給する訳にはいかないでしょう.
ダム建設は自然の姿を一変させる.ヤマメの住んでいた渓流がコイやブラックバスの住処となる.海に降っていたアユがダムで産卵し,ダムから「遡上」したアユが本来の分布域よりはるか上流に侵入する.海や河口にしかいなかったウ(鵜)がダム湖に住み着いて,山奥で見られるようになる.だからどうだということではないが,自然界にさまざまな変化,異変をもたらすのがダムである.過去においてダム建設が人間社会に恩恵をもたらして来たことは事実であるが,自然との共存を考えれば,今後も積極的にダム建設を続けるという選択肢は,もう採用しづらいのでないだろうか.
日本人はもう十分以上に郷土の自然を痛めつけてきた.この手法にはもう先が見えている.山奥まで開発しつくしてしまったら,それより「奥」はもうない.そろそろ限界が近付いている.
水需要に話をもどすと,1つの川が養うことのできる町のサイズには,おのずと限界がある.水の利用を成りゆきまかせにするのでなく,たとえば町のつくり方にまでさかのぼって考えることも,将来は必要となるだろう.
また,さらに一歩下がって大ブロシキを広げるならば,地球上の水の分布は大きく変わる可能性がある.気候変動によって,今まで雨の多かった地方に雨が降らなくなる.また今まで雨の少なかった地方が豪雨に見舞われる.こうしたグローバルな変動に対しては,より大きな枠組みでの対応が求められる.
話がなかなか「治水」のほうに行かないので,今日はこれで終わります.
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