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文科省の暴走

 「とある原発のメルトスルー」さん4月12日の記事です.
http://blog.livedoor.jp/home_make-toaru/

(以下転載)
 3月末に事故後1年目の調査で村に入り、モニタリングポストを確認して驚いた。線量測定器の置かれている場所の周りは徹底的に除染され、表土も入れ替えられていた。
 持参した測定器で地上1メートルの線量率を測ってみると毎時1.2マイクロシーベルト(単位は以下同)だったが、5メートル離れた場所では2.4あった。
 しかも測定器の下には分厚い鉄板。これでは直下からのガンマ線はかなり遮られる。
(中略)
 村の現況を代表しているとは到底言えまい。同行した京都大原子炉実験所の今中哲二助教は「モニタリングポストの用をなさない」とあきれた。
 文科省に問い合わせると、
(中略)
だが、ポストの周りを念入りに除染した(ように見える)のはなぜか、答えはなかった。

 酷いですね。文部科学省。
 以前に測定器を発注していた業者に値が低く出るように細工させたことが問題になりましたが,それでも飽き足らず,こんな姑息なまねをしていたとは。
 この行為は殺人だと思います。
(転載おわり)


 この最後の「測定器の発注」の話は,同じブログの過去記事にもある.
 「サロン金曜日」も同じ話を紹介している:
http://saron-kinyoubi.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-442d.html

 さて,
 文部科学省は,朝日新聞の連載記事「プロメテウスの罠」でも活躍している.
http://plaza.rakuten.co.jp/tosana/diary/201111260000/
 この連載第3部「観測中止令」は,科学者の活動に対し「上部」から圧力がかけられた事件を紹介している.それは気象研(気象庁気象研究所)が1954年以来続けて来た環境放射能の測定ができなくなったという一件だ.
 この事件は,3.11以後のいわば最も測定が必要な時に起きた.測定が継続できなくなったのは,観測に必要な予算が打ち切られたのが原因であり,打ち切った責任は文科省にあった.

 科学者にとって「データの捏造」は,決してやってはいけない,絶対的とも言えるタブーである.放射能の値が小さく出るように細工するなどは,科学者の発想ではない.
 また,科学は「事実を忠実に記載する」ことから始まる.その出発点を封じてしまうなどというのも,科学と無縁な人の発想である.

 文部科学省(文科省)というのは,科学に関係する大学や研究機関のほとんどを支配している.その文科省では上記のように,「科学と無縁な」発想がまかり通っている.日本の科学の,従って日本国の未来を考えるとき,文科省がこういう状態であることは,真に憂慮すべき大きな問題である.

科学ブーム

 「科学」がブームらしい.
 大学入試で「理系」を志望する学生が増えていると言われる.ナチュラリスト養成講座,サイエンスカフェ,その他たしかに,身辺で科学に関係する話題が増えている.テレビでも科学関係の話題が目立つ.NHKは,最先端の科学研究の成果だという「知識」を,わかり易く紹介している.
 昔は科学の成果を紹介するなどというテレビ番組が,そもそも少なかったように思う.しかし「理科離れ」が大きな問題になった頃から,NHKは科学指向の番組作りに努力してきたのかもしれない.また最近は地震,津波,原発事故など,科学に関心を持たざるをえないニュースも多い.

 NHKの番組作りについては,疑問を感じることもある.
 たとえば,「最先端」という言葉はいかにもマスコミ好みであるが,あまり乱発するのは良くないと思う.なすべき事が決まっていて,皆が同じ方向に向かって競争するような場合には,どの人が「最」先端にいるかを判定できる.これは学力テストや受験競争で,日本人にはすっかり馴染みの発想である.しかし科学は必ずしもそういう局面ばかりではない.最先端だと思ってやっていた研究が,じつは見当ちがいで,ずっと別のところが本当の「先端」だった,などということは,しばしば起こりうることである.何が最先端なのか,それを判定するのは,言葉から想像されるほど容易でない.
 また最先端ばかりが研究ではない.最先端ばかりを求めて進んで行くと,科学研究はやせ細ってしまう.最先端でない,たっぷりとした知識・情報の全体が,科学という大海原の魅力である.さらに言うならば,高いピラミッドは,広い底辺があってこそ築くことができるものだ.「最先端」という軽い言葉の中身は,今述べたこと以外にもまだ多くの問題を含んでいる.この言葉の頻用に対し,科学者は警告を発すべきだと私は思う.

 もう1つの疑問.
 科学の成果を紹介する番組の中で,健康とか医療関係のものは特に好評のようである.最新の研究成果が,好意的に紹介される.
 しかし,と話は続く.そういう治療は日本では今のところ受けられない.または保険がきかない.有効な治療法として許可がおりるまでに何年もかかる...

 これは少し考えねばならない.日本の医療制度は,国民皆保険を主軸としている.保険料を払えない貧乏人は死ぬしかないのが米国の制度.医療費はすべて税金でまかなうのが英国の制度.日本の制度は米国のように保険に依存しているので国の出費が少なく,かつ英国に近い福祉を実現している.けっこう良い制度である.
 しかし,この制度は米国の保険会社が日本で活動するのを妨げていると考える人もいるらしい.日本がTPPに参加すれば,そういうクレームを米国はつけるかもしれない.TPPは国民皆保険の制度に留まらず,日本の医療システム全体を崩壊させる可能性もある. TPPに向けて政府が動きを強めている今,この問題はデリケートに扱われねばならない.現行の制度を変えるべきだ!と脇目もふらず突き進む先には地獄が待っている.そういう問題である.

 この話に限らず,最近マスコミがもてはやす「科学」はどうも生臭い.科学と政治はこれほど不可分であったのかと感銘?を受けることも多い.
 「最先端」という言葉にひそむ「政治臭」に気付いている人はどれほどいるだろう? 科学ブームがどこまで本物か知らないけれど,科学にかこつけた政治宣伝には,くれぐれもご用心である.

説明と証明

 昨年3月12日,あの大地震,大津波の翌日,福島原発1号機が爆発した.時刻は3時36分.福島中央テレビは即座に(3時40分に),爆発の映像を県内に流した.そして同じ系列の日本テレビに,これを全国放送するように要請した.何度も要請したが,日テレが放映したのは,福島中央テレビの速報から1時間以上経った4時49分であった.日テレの映像を見て初めて菅直人は爆発があったことを知り,やっと官邸が動き出す.
 なぜ日テレは映像をすぐ流さなかったのか? 日テレ側の説明は:
「〜すぐに映像は届いていた.だが,何が起っているのか,その分析がない中で映像を流すと,パニックが起るのではないかと危惧した.映像を専門家に見てもらい,解説をつけて放送した」
  (「プロメテウスの罠」官邸の5日間(29),1月31日)

 この記事を見て,1つの寓話を思い出した.
- ある未開人の部落に突然,1台の機関車が走って来て停止した.中には誰も乗っていない.村人たちは機械文明に接したことがなく,走ってきたものが何であるかを知らない.得体の知れない物体を恐れた村人たちは,村の呪術師を呼んだ.
- 呪術師は,この物体を精査してから言った.「これを動かしていたのは馬の幽霊である.その幽霊はもういない」.それを聞いた村人たちは,やっと安心して帰って行った.
 (日高敏隆さんのお話より.うろ憶えゴメンナサイ)

説明が安心を与える
 未知のもの,理解できないものに対し人々は恐怖心をもつ.いきなり映像を見せたらパニックするかもしれない.それを避ける1つの有効な方法が,専門家(ないし呪術師)による解説,あるいは説明である.このことを日テレは熟知していたようだ.ただし日テレの対応が最善策であったかどうかは,意見の分れる所かもしれない.
 呪術師は,機関車を動かしていたのが「幽霊」であったことを,証明する必要はなかった.彼は「説明」しただけだ.人々はそれで納得し,安心した.日テレが専門家に求めたのも説明(解説)であり,それによって「パニック」を回避させることが期待された.このパターンは以後,原発事故に関する報道の中で,何度となく繰り返されることになる.とりわけNHKは,このパターンの報道を得意としている.

科学番組と授業の共通性
 報道だけではない.たとえば科学番組がそうだ.まず「事実」を提示する.どうしてこんな事が起きるんでしょうね? と疑問を投げかけ,次に担当者が簡単に説明する.なるほど,と視聴者がほぼ納得したあたりで専門家が登場し,同じ趣旨の解説をする.この場合も番組に求められるのは「説明」である.その説明が正しいことを「証明」する必要は全くない.
 限られた時間内で,視聴者を退屈させないで,かつ1つの事柄を伝えようというのがテレビ番組である.そういう意味ではテレビ番組の構成は,学校の授業(講義)の組立てと共通している.テレビも授業も同じことが要求されているわけで,それに対応する手法も同じになるのは当然だろう.

説明は証明ではない
 1つの「事実」に対する「説明」は,いろいろ考えうる.つまりテレビや授業が与える説明は, 1つの可能性,ないし「仮説」に過ぎない.その仮説が正しいかどうかを,さまざまな角度から検討し,実証して行くのが「科学」である.しかし,そういう作業は地味で複雑で,直観的な理解の妨げになる.だからテレビ番組や学校の授業では触れられないことが多い.
 こうして科学に対する大きな誤解が流布することになっているのでないか,と私は危惧している.それは科学とは,何かを「説明」することだ,という誤解である.また「説明」だけで納得し安心してしまうという風潮である.

 「説明」だけで安心してはいけません.与えられた1つの説明は出発点にすぎない.本当の「科学」は,じつはここから始まる.そのことに気付いてもらうのが科学教育の要点でなくてはならない.テレビ番組も,授業(講義)という教育形態も,科学教育の手法としては大きな欠陥がある.

「出エジプト記」以前のこと

 1月22日(日)のNHKスペシャルは「ヒューマン,なぜ人間になれたのか?」というシリーズの第1回,「旅はアフリカから始まった」であった.

 人類はアフリカで誕生し,やがて世界中に分布を広げた.人類の一部がアフリカを出たという事件は,モーゼに率いられた人々がアフリカを出た「出エジプト記」を連想させる.そこでアフリカでの人類の進化史を「『出エジプト記』以前」の歴史,と私は呼んでいる(たぶん多くの人がそう呼んでいる).これが第1回,つまり22日に放映された作品だ.
 ちなみに第2回以後のタイトルは:
第2回.グレートジャーニーの果てに
第3回.農耕革命,未来を疑う心.
第4回.そしてお金が生まれた.
だそうです.

 第1回「旅はアフリカから〜」は,人間の特徴として,協力すること,他人を思いやること,を挙げている.これは他の生物にない特徴だそうです.7万数千年の昔,インドネシアの火山が大爆発をした.その結果,地球の気候が急速に寒冷化した.そのため多くの人々が死んだ.けれども,「協力する」という性質を持っていた少数の人だけが生き残り,それが人類の先祖になった.よって「協力する」という性質を人間は(人間だけが)獲得した.これが「最先端」の,「最新」の,研究結果なのだそうだ.

 日本人は何でも優劣の順位づけをして,人や業績をタテに並べることに慣らされている.大学の入試制度に象徴される文部省(文科省)の差別選別の教育政策の賜物であるが,こと科学に関しては,こういう扱いは適切でない.ある研究結果を評価するときに,その研究をした人が T大学か,K大学か,はたまた別の大学の出身であったか,あるいは大学など出てない人であったか等は,全く問題にならない.科学とはそういう学問である.「最先端」や「最新」などという言葉も同様である.こういう言葉を「権威づけ」のため用いているのだとしたら,基本的なスタンスからして,この番組制作者には科学を語る資格がない.

 というふうに,のっけから違和感があったのだけど,「協力」というキーワードが出た時点で,私は全くついて行けなくなった.科学の成果を紹介するような体裁をとっているが,じつは全くの非科学,ニセ科学番組ではないだろうか,という疑念が湧いてきた.

 利己的な主体が集まって「協力」し合うという現象は,さまざまな生物で,さまざまな仕方で観察される.利己的な「個」の集合体がなぜ非利己的,協力的な「全体」を形成できるのかという問題は,古くから認識され議論されて来た.私もブログ「高知に自然史博物館を」の中で扱ったことがある.たいへん古い記事だけど,ご一読ください.
 「なぜウソをついてはいけないか?」
http://plaza.rakuten.co.jp/tosana/diary/200711160000/
 「なぜ人を殺してはいけないか?」
http://plaza.rakuten.co.jp/tosana/diary/200712060000/

 そのように古くからある問題であって,最先端だか最新だかの研究成果があったとしても,それで疑問が氷解するような話ではない.

 3.11以後の日本は本当に迷走を続けていて,日本は間もなく崩壊してしまうのではという危機感さえある.その中で,「助け合う」ことが人間の,とりわけ日本人の,特性である,という主張は耳に心地良いかもしれない.
 しかし科学的な話をしたいのであれば,そのような安易な議論は警戒せねばならない.最近の日本人は「こうあって欲しい」という願望を,「こうである」という事実と区別しない傾向が目立つ.NHKによる「放射能は安全」キャンペーンとか,政府による被曝基準値の見直し,あげくは首相による原発事故の終息宣言.いずれも「願望」を「事実」よりも優先させた結果である.
 強く願えば「事実」を変えることができると考えるのは一種の信仰であって,竹槍で米軍を撃退できると信じていた人々と大差ない.社会が崩壊する寸前には,えてしてこういう迷信が横行するものである.

 第1回は散々な出来具合であったが,シリーズ第2回以後はどうだろうか.興味深いテーマであるだけに,もう少しマシな番組を期待したい.

魚の放射能汚染

 先日(1月15日)の「NHKスペシャル」について書いてみる.
 海底の汚染はどうなっているか,われわれは調査した,と言っていた.「われわれ」とはNHKのことだろうか.マスコミが行なう科学調査を,どれほど信頼してよいものか,私にはわからない.特にNHKは,データを正直に提示するような人たちではない.むしろデータを取捨選択し加工して,特定の結論にこぎ付けることにかけて,極めて有能な人たちであることを,今や日本人なら誰でも知っている.
 そういう人たちが「調査」をした.

 魚が放射能で汚染されている.福島原発から垂れ流された放射性物質が海水の流れ(沿岸流)に乗って南に流されて,それが海底の泥の中に蓄積しているらしい.海底にじっと静止して過ごすことの多い魚(底生魚)が,その汚染を取り込んでしまう.その一部は食品市場に出回る可能性がある.
 そして話は唐突に食物連鎖に移る.放射性物質は海底の泥にくっついているのだ.その泥をゴカイが食べる.そのゴカイを魚が食べる.こうして魚が放射能を取り込んだのだ,と.
 しょせんNHKの番組なので,私はあまり注意しないで,見るともなく見ていた.しかし提示された放射線量は,ゴカイ説をうまく裏付けてないように思った.泥と魚は同程度の線量であるのに対し,ゴカイの線量が小さすぎると感じた.それに食物連鎖を語るのに,出演者がゴカイだけというのは,寂しすぎる.十分に調べたうえでの結論と思えない.

 問題になっているのはセシウムである.周期律表ではナトリウムやカリウムと同じ列に並んでいるので,化学的性質も似ているのかもしれない.だとするとイオンの状態で水に溶け込んでいて,ナトリウム等と同様に生物体内に取り込まれたり排出されるということだろうか.
 そもそも「放射性のセシウム」という言葉ばかりが一人歩きしていて,セシウムがどういう化学的状態で「汚染」に関与しているのかを,3月11日以後のマスコミ報道の中で聞いたことがない.放射活性は物理的性質だとしても,その物質を「除染」するうえで,化学的状態を知ることは不可欠のステップだと思う.その知識を日本のマスコミはほとんど提供しないで,除染ばかりをもてはやし,「絆」だ何だと理性より情緒に訴える洗脳報道ばかり流している.

 話がそれてしまった.
 食塩が海底の泥に付着している,と言ったら,みな首をかしげるのでないだろうか.ところが同じような化学的性質を持つというセシウムは,海底の泥に付着しているらしい.NHKは,そう説明している.
 海水は食塩,つまりナトリウムで満ち満ちている.ナトリウム濃度は海水のほうが,魚の体液よりも高い.だから海産魚はナトリウムを「能動的に」(エネルギーを使って)排出する.この仕組みが機能している限り,ナトリウムが魚体に濃縮蓄積されるようなことはない.セシウムならば蓄積されるのだろうか? 

 浸透圧について,もう少し書いておこう(以前どこかに書いたかも).
 魚でも鳥でもそうだけど,海に住んでいると水分が奪われる.砂漠に住んでいるようなものだ.だから海に住む生物は,どうにかして水分を補給せねばならない.では海産魚や海鳥は,どうやって水分を補給するのだろうか?
 答は簡単.海水を飲むのである.そして過剰の塩分を,魚の場合はエラから排出する.海鳥は上クチバシの基部ふきんに,塩分を濃縮して排出するための穴を持っている.たとえばフルマカモメは持っている.だから真の「海鳥」である.ふつうのカモメは持っていない.だからカモメは陸を長時間離れて生きていけない.
 魚や海鳥が排出する「過剰の塩分」とはナトリウムやカリウムのことである.セシウムも同様に排出されるのかどうかは知りません.

 以下は私の仮説.
 魚が汚染された理由は,必ずしも「食物」が原因ではないかもしれない.つまり魚は海水をたくさん飲む.底生魚なら海水とともに泥も飲み込むだろう.海水や泥が汚染されていれば,その汚染を直接飲み込むことになる.おそらく魚はセシウムを「生体濃縮」して貯め込んでいるわけではなく,かといってナトリウム等のように積極的に排出するわけでもなく,魚体は単に受動的に,環境(海底の泥)と同程度のセシウム濃度になっているというだけの話ではないだろうか.

 話の行方が見えなくなったので,今日はこれで終ります. (<おいっ!)

プラセボ効果

 きょうは「プラセボ効果」について説明します.
 「プラセボ効果」は,かなり知られている現象だけど,耳慣れない人もいると思うので,1つの例から始めよう.

< 例 >
 「血圧を下げる」と言われている飲み薬があるとする.この薬が本当に血圧を下げるかどうかを調べるには,どうしたら良いだろう?

 さて,どうしたら良いでしょうね.
 まず被験者をランダムに2つのグループ(AとB)に分ける.まず全員の血圧を計る.次にグループAの人たちには,その薬を飲ませる.グループBの人たちには何もしない.一定期間ののち,みんなの血圧を計る.測定結果を集計すれば,この薬が本当に血圧を下げるかどうかが判る.
 というふうな実験を組んだとしたら,これは不合格です.
 相手がネズミならこれで良い.しかし人間は違う.「これは風邪薬だ」と言って胃薬を与えたら風邪が治ったなどということがある.胃薬でなくても,小麦粉を薬包紙に包んで渡しても「効く」かもしれない.
 薬だと信じて飲んだら効いてしまうことがある.これをプラセボ効果という.プラセボ(placebo)とは「偽薬」のこと.

 プラセボ効果を考慮するなら,Aグループの被験者に問題の薬を飲ませるとして,Bグループには効果のわかっている(または,効果がないことがわかっている)「薬」を飲ませるとよい.もちろん被験者には「薬」が本物かどうかを知らせない.しかし「薬」を渡すときの表情を読まれる可能性もある.
 被験者が実験者の表情や動作を読んで勘づいてしまうと,それが結果に影響を及ぼすかもしれない.この現象は何と呼ばれているか知らないので,とりあえず「『利口なハンス』効果」と呼ぶことにしよう.
 「利口なハンス」は実在した馬の名前です.この馬は計算ができることで有名だった.たとえば2+3はいくら?という問題を与える.するとハンス君は前脚で地面を5回たたく.もちろん本当はハンス君が計算をしたわけではなく,周囲の人たち,調教師とか観客とかの微妙な空気を感じ取って,正解に達したところで地面をたたくのを止めたのである.

 「プラセボ効果」と「利口なハンス効果」とを除外するためには,いま与えた薬が本物かどうかを,被験者だけでなく実験に立ち会う人も知らない,という状況を設定する必要がある.これを二重盲検法(double blind test)とか言って,薬が本当に効くかどうかを調べる標準的な方法とされている.
 なお「プラセボ効果」は,放射線の影響が「あるとは言えない」という主張の根拠となりうるだろう.原爆やチェルノブイリ事故の被災者は自分が被曝したことを知っているからです.

 きょうの話はこれで終り.以下は余談です.
 正月のテレビが面白くないのでチャンネルをいじっていたら,バラエティ番組で「畳の匂いにはリラックス効果がある」という説をとりあげていた.スポーツ選手に畳の匂いを嗅がせると試合に勝てるだろうか,というような「実験」をやっている.プラセボ効果など完全に無視.
 こういう番組は単純に楽しめば良いのであって,目にカドたてて批判するようなものではないのだろう.しかし「実験」という言葉を使っているし,ぼんやり見ていると「科学的」であるかのように錯覚する可能性もある.
 「実験」をするテレビ番組というと,NHKの「ためしてガッテン」は,さすが「プラセボ効果」に配慮した実験をしている.この番組の問題点はもっと別のところにあるのだけれど,その話は別の機会にしよう.

食卓まるごと放射能調査

 NHK「あさイチ」を見た.10月17日に放映された「放射線大丈夫? 日本列島・食卓まるごと調査」で発表した放射性物質量の数値が誤っていたとのことで,謝罪釈明のうえ,しかし,それでも食品は安全だというキャンペーンもしっかり添えられていた.
http://blog.livedoor.jp/ryoma307/archives/5418924.html
 というわけで,今日は放射線の測定方法について書いてみます.
 
 今回の事故のような場合,環境にバラ撒かれる放射能をまず測定することは,非常に必要である.しかし放射能の測定は,たとえばガイガーカウンターでちょいと計るような簡単なことではないだろう.そのことを「高知に自然史博物館を」で指摘した.今年3月26日の記事である.
http://plaza.rakuten.co.jp/tosana/diary/201103260000/
 その当時から数ヶ月を経て,マスコミの報道もずいぶん変わった.たとえば当時は「防護服」があたかも放射線を防ぐ機能があるかのように報道されていた.私の記述もそれに引きずられている.実際には「防護服」に放射線を防ぐ機能はないらしい.
 この一事からも判るように,放射線について私の知識は少ないけれど,めげずにコメントします.非専門家の意見として読んでください.

 さて,今日(12月15日)の「あさイチ」の中で,視聴者からの質問「ストロンチウムやプルトニウムを計らないのか?」に答えて,解説役の先生が測定方法に触れた.ストロンチウム等はベータ線やアルファ線であり,番組で計ったセシウム等のガンマ線とは違う,もっと手の込んだ測定が必要だという説明だった.
 内部被曝についてはベータ線が重要である.私はそう理解している.
http://henachokosizenhogo.blog.so-net.ne.jp/2011-04-26
それは日本科学者会議のホームページにあった沢田昭二先生の解説によっている.私の理解が正しければ,放射能として簡単に測定できるガンマ線の数値だけで内部被曝について推論するのは不適切だろう.
 「あさイチ」の先生は解説の中で,放射線の飛距離(飛程)について語った(私の聞き間違いかもしれない).またベータ線やアルファ線は障害物によって止められる.要するに至近距離(多分,ミリメートル以下の距離)でしか測定できない.そのような趣旨の解説であったと思う.

 内部被曝の影響について言うならば,ベータ線は要警戒だろう.ベータ線を発する微粒子や分子etc.が細胞内ないし細胞の近傍に置かれた場合,微弱なベータ線(電荷を帯びている)がイオンやラジカルや活性酸素や(よく知りません)等々を発生させ,遺伝子(DNA)に突然変異を起こさせる.
 これがアルファ線ならば,ズドンと一発で遺伝子を切断する.細胞に大きなダメージを与え,その細胞は死ぬ.だからその効果は,ある意味さわやかである.ベータ線の場合,効果は微弱であり,細胞は突然変異を起こすが,しかし死なない.それがガンや老化の原因になる.
 障害物によって簡単に遮蔽される,したがって測定困難な,微弱な放射線こそが,内部被曝による発ガンの原因となる.そういう可能性がある.そこまでは言わなかったけれど,今朝の「あさイチ」の解説者は,ふつうの方法では測定できない放射線があることに言及した.今までの多くの番組やニュース解説では,あまり触れられなかったことである.

 3.11以後,私はマスコミの報道にずっと違和感を持っている.しかし科学的な側面についての報道は,正しい知識に少しずつ近づいているようにも見える.理由はいろいろ詮索できる.しかし喜ばしいことである.

 それにしても,と私は思う.なぜNHKがそういう調査をするのだろう? 広い知識をカバーできる放送局であり,豊富な人材も持っているだろう.しかし結局のところ,調査研究に関してはシロウトではないか.理科の実験ではないのだから,こういう重要な調査はプロに委せる,ないしプロの指導のもとで実施すべきではないのか.

 師走となって多忙な日々だけれど,この続きを,できれば近日中に書きたいと思っています.

毒まんじゅう作戦

 最近の学者は信用できないことを,私はブログ「高知に自然史博物館を」で何度となく取り上げた.科学者がウソをつく背景に国立大学の法人化があることも指摘した.
http://plaza.rakuten.co.jp/tosana/diary/201110150000/
 また,科学者の研究活動が事務系職員のシロウト判断で簡単に左右される現状が,朝日新聞の連載記事「プロメテウスの罠」で描かれているので,その第3部にあたる「観測中止令」の記事を,同じブログで紹介している.

 信用できないのは学者だけではない.日本国民に与えられる情報が,いかに歪められたものになっているかを,ことに3.11以後の「放射能は安全」キャンペーンや,最近のTPPをめぐる議論の中で見ることができる.このような情報しか与えられない国民は必ず道を見誤ると思う.
 このことと大いに関係しそうな記事を「植草一秀の『知られざる真実』」というブログで発見した.本ブログの主題からハズれるけれど,重要なことだと思うので,ここに紹介する.
 記事のタイトルは「日本破壊のTPPと国民生活破壊のTPR」というもの.つい先日(12月10日)の記事である.
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-c5e0.html

 なお,ここでTPRとはtax のPR という意味.新しい税(売上税)の導入を国民に納得させるために大蔵省(当時)が1985年(当時は中曽根内閣)から始めたPR作戦のことだそうです.

(以下転載)
========================
 TPRの活動は大きく分けて三つあった。
 
  第一は、政界・財界・学界3000人リストを作成し、この全員を説得するというもの。リストアップされた3000人の全員に対して大蔵省幹部が説得に出向いた。了解を取り付けた人物にはリスト上に丸印が付される。説得工作が失敗した場合にはX印が記され、ひとつ階級の高い官僚が次の説得に向かう。売上税導入に反対する人物には、最終的には事務次官までが対応するとの態勢が敷かれた。
 
 財金研研究部では毎日3000人リストの更新作業が行われた。3000人に対する徹底した説得工作が実行された。
 
  第二は、メディアに登場する論評に対する検閲である。TPRウィークリーなる資料が作成された。あらゆる新聞、テレビ、週刊誌、月刊誌、単行本における税制問題関連の記述が検閲の対象になり、賛成派と反対派を色分けし、反対派をブラックリストに入れて説得工作の重点対象とするとともに、賛成派を売上税推進の提灯持ちとして活用することが検討された。
 
 第三は、メディア関連企業に対する説得・接待活動である。新聞、テレビ、広告代理店、さらに大手出版社までが説得・接待活動の対象にされた。接待としては、吉兆などの高級料亭が用いられたこともある。
 
 マスメディアのなかで、とりわけ重要度が高いのがNHKである。政府・与党が大きな政策を推進しようとする際、政府・与党はNHKを活用する。NHKは政府・与党の政策推進に積極的に協力してNHKスペシャルを制作する。

(中略)
 
 政策構想フォーラムでの売上税の影響試算を担当したのは大阪大学の本間正明教授だった。大蔵省のTPR担当責任者は、本間氏を大蔵省の主任研究官に招聘することを決定した。反対派の学者を大蔵省が取り込んでゆく戦術が採用されたわけだ。
 
 大蔵省内部ではこれを「毒まんじゅう作戦」と呼んだ。
 
「御用学者」に堕してしまう学者は、政府審議会の委員に就任することに大きな価値を置いている亜流の人物たちである。大蔵省は財政制度等審議会、資金運用審議会、政府税制調査会など、いくつもの政府委員会を保有していた。
 
 反対派の学者を懐柔する際に、こうした政府委員会委員ポストなどを毒まんじゅうとして活用するのである。
 
 大蔵省の主任研究官ポストなども重要な毒まんじゅうのひとつだ。
 
 なかには、骨のある懐柔に屈服しない学者も存在するが、大蔵省は学者を懐柔できず、学者が硬派であると判断すれば、そのような学者を遠ざけて近づけないようにする。同時に、最重要危険人物リストに掲載する。
 
 逆に懐柔に成功した人物には、次々に毒まんじゅうを与えて、政府の手先として徹底して活用することになる。毒まんじゅう作戦はてきめんに効果を発揮していった。
 
 売上税反対派の学者が、すべての側面で財務省の振り付け通りに動いてゆくようになるのである。

* * * * *

 政府の各種委員会があるが、このすべてにおいて、結論は所管の省庁によってあらかじめ決定されている。その決定に権威付け、あるいは箔付けをするために委員会が利用される。
 
 したがって、委員会の座長には、必ず、政府のコントロールに従う人物が起用される。学識・見識が・知識が重視されることはない。議論を丸くまとめ、かつ、政府の意向を結論に誘導する誘導力を持つ人物が選ばれる。
 
 委員会には反対意見を述べる委員も加えられる。しかし、この反対派の委員に、骨のある、しかも専門知識も深い、本物の反対派は決して起用されない。起用されるのは、簡単に論破されてしまう弱小の反対派だけである。
 
  こうして御用学者の系列が生み出される。財務省の御用学者になると大きな恩典がある。予算措置において財務省が便宜を供与するのだ。各大学にとって、予算 編成上の便宜は何よりも重要な事項だ。だから、財務省の委員会委員になるとその学者の学内での発言力が高まり、学者としての実績はなくても学内での地位を あげることも可能になる。
========================
(転載おわり)

 この記事に書かれていることの真偽のほどは知らない.しかし最近の日本の状況を考えてみると,思い当たるふしが多々ある.あの人も,この人も,ひょっとして毒まんじゅうを食べたのかな,と思えてくる.いつの間にか日本は,とんでもない三流国になってしまったのかもしれない.

「最先端」の農業(つづき)

 農家からは嫌われることが多いけれど,豊かな自然こそは,じつは農業に必要なバックグラウンドである.「アレロパシー」という言葉を知っているだろうか.植物はさまざまな物質を空気中とか水中,土中に出している.そういう物質が他の生物の生育を促進したり阻害する.だから豊かな自然がある所では土や水や大気に,さまざまな化学物質が充満している.文字通り「空気」が,都会と違っている.
 アレロパシーは生物間の化学的な相互作用であるが,それに留まらず,生物はさまざまな形で互いに影響し合っている.相互作用を通じ,多様性がさらなる多様性を生じる.「自然」とは,そういうものだ.そして自然が生きている環境の中でこそ,農作物も家畜もすくすくと育つ.

 少し脱線します.
 かつてアイルランドはそういう土地であっただろう.植物だけでなく動物も,豊かな自然の中ですくすくと育った.羊毛の生産が盛んになりすぎたので,宗主国の英国は国内産業を保護するため,アイルランドでの毛織物の生産を禁止した.だから今でも毛織物は英国のものであり,アイルランドには毛糸のセーターしか残っていない.酒もまた同様で,アイルランド製の上質なビールを恐れて英国はアイルランドでのビール生産を禁止した.仕方なくアイルランド人は「ギネス」を造った.アイリッシュウルフハウンド,アイリッシュドラフトホース.なぜかアイリッシュと名のつく家畜には巨大なものが多い.

 もちろん動植物の品種は遺伝的なものであり,それは環境の「自然の豊かさ」と直接の関係はない.ただ,そういう変異体が存続でき,新しい品種として選別される背景には,やはり豊かな自然環境があるのだろう.私が居住する高知県にも,似たような例がある.新高(にいたか)という巨大な梨(なし)がある.改良ブンタンという巨大な柑橘類がある.長尾鶏と呼ばれる尾が異常に長いニワトリもいる.だから田舎の一次産業は面白い.

 さて.
 NHKが賞賛する「最先端」の農業では,あの広大な農地で1種類の植物だけを純粋栽培するために,どれほどの農薬を必要とするだろうか? モンサント社の除草剤「ラウンドアップ」の使用は,もちろん除草剤耐性のある同社の遺伝子組み換え作物と一緒に導入されねばならない.通常の作物では雑草とともにラウンドアップで「除草」されてしまうからである.

 この人たちはどのような「土づくり」をするだろうか? 土壌生物の多くは姿を消すだろう.目指すべきものは土壌のない,水耕栽培のようなシステムかもしれない.それならば話は簡単.化学肥料をどんどん注入すれば良い.「自然」は邪魔者でしかない.
 こういう「農業」を田舎でやって欲しくないと思う.自然を敵視する農業とは結局のところ,大規模な自然破壊を意味する.狭い日本でそれを実施したら,日本から「自然」が消えてしまう.この美しい国を,そのような仕方で破壊しないで欲しい.

 私は何の話をしていただろう.
 食べ物の話だった.化学肥料と化物除草剤で育てた遺伝子組み換え作物を食べる話である. 日本国民の口にそういうジャンクフードを詰め込もうというのが大規模集約農業であり,つまりTPPなのだ.そういう方向に向けて,いまNHKは熱心に執拗に世論誘導を重ねている.

「最先端」の農業

 大規模で集約的な農業をやって安い農作物を大量生産せねばならない,とNHK宣伝している.競争に勝たねばならない.企業の手法や考え方を取り入れた,新しい,最先端の農業をせねばならない.実際こんな先進的な取り組みをしている人たちもいる...
 またNHKが洗脳放送をやっているな,と思いながら,見るともなく見ていた.機械が操縦する無人のトラクター,作物の生育を監視する機械,こんなふうにして人件費を抑えるのだという.広大な農地に整然と植えられた作物.「最先端」の農業を語る人たちと,有名大学の先生.それに企業.

 ああ,この企業だ,と思った.住友化学だ.経団連の米倉会長が会長をやっているという企業.米倉氏はTPP推進派として最近テレビでよく見かける.そして住友化学は,あの米国モンサント社と提携していることが最近ブログで話題になっている.
 なるほど.それが米倉氏の正体である.彼はモンサント社のスポークスマンだと考えれば,すべてが納得できる.さすがお利口さんのNHKは,モンサント社の名前は出さない.

 私は農業については素人である.しかし1つ知っていることがある.それは1種類の生物だけを純粋に飼うことの効果である.原生生物や藻類は,純粋に飼うことで,通常ないような高い密度にまで増やすことができる.同じことが農作物でも成り立つのだろう.純粋に1つの作物だけを栽培すれば,たぶん極めて高い生産性を達成できるだろう.それは,たぶん室内なら可能かもしれない.
 しかしテレビで紹介されていたのは室内ではない.広大な農地を機械が管理するという「最先端」の農法である.存在するのは純粋に1種類の作物だけ.あの広大な面積で,こういうことが達成できるのだろうか?

 もちろんできない.周囲に「自然」がある限り,それは不可能である.さまざまな生物が農地に侵入して来るだろう.そういう自然の営みを人は「害虫」と呼び,あるいは「雑草」と呼ぶ.農業の敵である.最近はイノシシなど「害獣」の話もよく耳にする.まさに農業は自然との闘い,自然を排除しようとする営みに他ならない.

 しかし一方で,農の基本は「土づくり」だとも言われる.土の中にはさまざまな生物が棲息している.「土づくり」とは土に手を加えることで,植物栽培に適した良好な土壌生態系を作る作業である.そして農業では,人間に有用な特定の植物を,その生態系にうまく組み入れることが重要になる.

 自然と格闘しつつ,しかし自然を利用する.それが農業である.前者の観点からは自然は邪魔者であるが,後者の観点からすれば,豊かな自然は天の恵みである.だからこそ農業は,自然が豊かな地方にこそふさわしい.

 話はもう少し続きます.今日はここまで.
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