人工海底と人工海岸
同じく浦戸湾〜新堀川の問題を扱っているブログに「高知おこし 新堀川」http://white.ap.teacup.com/shinbori/がある.今日はその記事の話をしよう.
まず引用から.
(以下引用)
今、海岸の荒廃は目を覆うばかりだ。
106億円の巨費をかけて11・7m2 の人工海浜が広島県坂町に出現をした。
自然海岸の喪失に、人工海岸を得る試みだ。
予算規模は新堀川の道路に久しい。
ところが、中国や台湾からの砂の輸入に『日本による環境破壊の輸出だ』という声があがっている。
破壊で補う自然あれば、自然を買い取る日本の姿もある。
広島の例から浦戸湾に砂を入れて人工海浜を作ろうとした先例を思い出したのだった。
このとき、国分川の浚渫土砂ではなく、さんご礁の白い砂がいいという意見も出ていた。
無邪気ではあるが、流されるわけにはいかない。
(引用おわり)
広島の人工海岸については新聞か何かで読んだだけの知識なので,私はあまり議論を展開できる素地がない.しかし一般論としては「愚行」である.ひいき目に言っても「実験」である.そういう実験ができるとは,さすが広島は裕福な県のようだ.
貧乏な高知県は,とてもそういう真似はできない.しかし浦戸湾に砂を入れて「ヘドロを覆い隠して海をきれいにした」と胸を張ってみせた知事がいた.「さんご礁の白い砂」で人工海岸を造ろうという計画すらあった.この高知県の事例について,いくつか基本的なことを指摘しておきたい.
まず第1点.製紙工場が排液をたれ流していた40年前ならともかく,いま浦戸湾はヘドロの海ではない.知事がヘドロと言った海底は,さまざまな生物の住処なのだ.泥に棲む生物と砂に棲む生物は違う.淡水に棲む生物と海水に棲む生物が違うのと同じことだ.泥の海底を砂で覆ったら,そこに住める生物も変ってくる.海水のエリアを淡水化することで何が起こるかは,諫早湾の例をみるまでもない.泥を砂で覆ったら同じことが起こる可能性がある.
第2点.砂浜は水の流れが造る.水が土砂を運んで来るし,土砂を運び去る.この2つの作用のバランスが浜を造る.そういう条件のない所に人工海浜を造っても,いずれ消滅するだけのことだ.消滅を防ぐためのさまざまな工夫が必要であり,だからひいき目に見ても人工海岸は「実験」なのだ.
第3点.「さんご礁の白い砂」という発想は,さらに愚かである.サンゴは浦戸湾〜桂浜かいわいには生息していない.また「星の砂」の原料?である有孔虫は浦戸湾内ではなく,外洋に面した所には生息している.しかし,たとえば桂浜の砂を手にひとすくい取ったとして,その中に「星の砂」は1粒あるかないか程度のものだ.浦戸湾に「さんご礁の白い砂」など,あまりに不自然である.観光客の笑いものになるだけのことだ.
一連の発想をみて,いつもながら感じるのは,どうやら人々は,自然を自分の好みに従って造り変えることができると信じているらしいということだ.そのあたりをもっと指摘することが,このブログの意義かもしれない.
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ひさびさに高知市の旧市街地をクルマで通過した. 市街地の外周道路にある大型量販店やヤマダ電気には,私はけっこうな頻度で行く.こういう店を応援している訳ではないが,いろいろな事情で結局そうなってしまう.似たり寄ったりの事情が他の人たちにもあるのだろう.....
麻生さんのバラまき政策で,無駄な公共事業が全国的に復活しそうである.景気浮揚というと公共事業というカビのはえた発想が,この人の脳内ではまだ生きているらしい. 昔ならいざ知らず,今どきの公共事業,たとえば道路建設は,景気の浮揚にあまり貢献しないと思う.....
高知市内を西から東に流れる鏡川(かがみがわ).この川にかかる橋の話である. 最も東,つまり最も河口側にあるのが鏡川大橋で,これは旧市内を取り巻く環状道路の一部をなす.この環状道路については,また別の機会に書くことにする. 河口側から2番目が九反田橋....
「ためしてガッテン」はNHKの番組である.ちょいとパラドキシカルな話題がお好みらしく,水よりも湯のほうが早く凍るという「ムペンバ効果」はブログ界でもあちこちで話題になった. 先日放映されたのは「木炭」の話.炭に火をつけるのは誰しもなかなか苦労しているらし...
クマムシにとっては小さな一歩だが、動物界にとっては大きな飛躍だ。この地球上で最もタフな生物が、宇宙旅行から生還したのだ。ほんの数系統の丈夫なバクテリアを除けば、他のどんな生物も死んでいただろう。しかし、クマムシはこの宇宙旅行を、日ごろ暮らすコケの生えた地面が乾燥したときと同じ調子で乗り切…[続く]
高知市と浦戸湾のインターフェイスとして,かつては高知の城下町の経済をささえていた新堀川.その新堀川を道路にしようという事業は,JR高知駅を中心とする都市再開発の大きな計画の一部である. それは「県勢浮揚」という錦の御旗で始まった.高知県知事(当時)の橋....








『・・・しかし一般論としては「愚行」である』、
私も記事の問題、よく判っていないのですが、一般的になぜゆえこういう事にブレーキが掛からないのか、甚だ不思議です。
いつの時代の、どういうニーズを想定しているのでしょうか。列島改造計画は今だ現役か?
もっとも、既存のインフラのメンテ(必要上の改良を含む)まで否定するものではありませんが。
葛西敬之氏(JR東海会長)の著書より表現を拝借すれば、
「先見的あるいは本能的省益拡大のための手を打っておく知恵を出す者が現われる官僚機構の自己保存本能には脱帽の思いがする」、です。
by RU2FTAB (2008-09-14 00:31)
コメントありがとうございます.
>一般的になぜゆえこういう事にブレーキが掛からないのか、甚だ不思議です。
>いつの時代の、どういうニーズを想定しているのでしょうか。
一般的にはどうでしょう? 広島の人工海岸は海水浴場にでもするのでしょうか?
高知の場合,最大のニーズは,公共工事(道路)の予定地に希少生物がいるので,その生物の移植先を「創出」することでしょう.県土木部が「生物に配慮しました」というアリバイを作り,議会やマスコミや県民からの批判をかわすことができれば,行政としては十分な意義があるのでしょう.実際上はほんの数年間ほど批判をかわすことができれば良いので,あとは野となれ山となれ.
>省益拡大のための手を打っておく知恵を出す者
本当に小ずるい思いつきをするものですね.そういう人が出世をする仕組みになっているのでしょう.
by Ladybird (2008-09-14 06:12)
「地球最強の生物」クマムシ,という記事からトラックバックを頂いています.
クマムシは「高知に自然史博物館を」http://plaza.rakuten.co.jp/tosana/で,「伝説のスーパーアニマル」として言及したことがあります(かなり以前の記事だったと思う).
地球「最強」という表現は,私としては抵抗があります.自分たちの知っている範囲で「最強」ということであって,地球最強かどうかは判らないと思うからです.
クマムシはクリプトビオシス(代謝速度を極端に落とした休眠状態)の能力があって,その状態だと環境の悪条件に対し様々な耐性を示すわけです.しかしクリプトビオシスの能力のある動物はクマムシだけではないし,未知の生物もいるでしょう,だから正確には,クマムシは「ひょっとしたら地球最強」というべきだと思います.
by Ladybird (2008-09-14 06:32)
少しご無沙汰でしたが、私の方では海岸侵食問題の根本に迫るための情報収集に熱中して、オリンピックや「あなたとはちがうんです」以後のニュースも見出しだけ見るだけで内容はほとんど知らないままです。
>葛西敬之氏(JR東海会長)の著書より表現を拝借すれば、
「先見的あるいは本能的省益拡大のための手を打っておく知恵を出す者が現われる官僚機構の自己保存本能には脱帽の思いがする」、です。
まったく同感です。
これまで調べてきた中央官僚が仕組んで発展させた事業で国土がどれほど痛めつけられたことか。私の最大の関心事である砂浜海岸では、防災を錦の御旗にした不要な護岸工事、それも壊れては修復するようにされているとしかみえません。災害復旧は予算が極めてとりやすいですから。いらないものが壊れても、これ幸いに元通りにしたがります。
海岸に松林を拡大し、それをガードする堤防を造り、 それが砂浜の侵食を誘発していることは間違いなさそうです。その裏側には地下水のくみ上げで地盤沈下というのが協働していたようです。砂浜が侵食され、それをさらに強固な護岸建設の名目とし、それが働かないので人工岬の建設ラッシュです。それには養浜という、航路浚渫土砂や河川の河床の掘り下げ洪水対策で出る土砂の捨て場がセットです。
これを仕組んだ中央官僚組織は天才の集まりだったのか、と感嘆しているところです。
by beachmollusc (2008-09-14 12:21)
ごぶさたしております。下司さまのところの引用でありますね。
私、8.6ヒロシマを前後して、広島でお仕事していたのですが、広島の人工海岸は海水浴場になってましたよ。通りすがりの印象としては、あれだけの巨費を投じてこの程度の海岸なのは、建設土木資本が儲けすぎなのか、ご指摘のとおりはなっから無茶をしているのか。
この人工海岸には、小さな岬をへだてて巨大な清掃工場が隣接しているというのがなんともいえぬ風情を醸し出しておりました。その清掃工場に用があって知りました。私は到底泳ぐような気持ちにはなりませんでしたが、週末は海水浴客で道路が渋滞するくらいの盛況ぶりでした。
by 薩摩長州 (2008-09-15 00:53)
beachmollusc さん,お久しぶりです.
海岸浸食問題をブログで何度も取り上げておられるんですね.私はざっと読んだだけで十分に理解できてないと思うので,もう少し検討してみます.
>これを仕組んだ中央官僚組織は天才の集まりだったのか
名目づくり,すり替え,の天才のようですね.
by Ladybird (2008-09-15 01:38)
薩摩長州さん,ごぶさたしています.
海水浴場ですか.それで人が押し寄せるのなら,地元は喜ぶでしょうね.
「希少生物の保護のため」などと言わないぶん,むしろ明快です.しかし海岸は海と陸のインターフェイス.こういう「境界線」は生態学的に重要な場所であることが多いと思います.本来なら割れ物を扱うような繊細さが必要ですが,人工海岸を思い付いた人たちには縁のない考え方かもしれません.
by Ladybird (2008-09-15 01:52)
京都の「天の橋立」で、何億円もかけて砂を入れては流され・・・を繰り返す愚行が繰り返されています。
ダム建設で下流に流れる砂が減り、ダンプで運ぶ。
海岸を守ること、より、砂を運ぶことの利権が優先してるんでしょうね。
たまに、時代劇で天橋立の「また覗き」をする対象が
突堤でギザギザの海岸だったりします
(天下の「水戸黄門」でもありました)いまならCGで加工できるんでしょうが、オリジナルを知らん演出家に、
江戸時代に流砂止のおかしさがわからんらしい
by ×第二迷信 (2008-09-15 10:15)
×第二迷信 さん,こんにちは.
天橋立のようなデリケートな構造を,人為によって守ろうとすると,はた目にも愚かしい努力が必要になるでしょうね.自然の摂理を理解し,それを利用するような,持続可能な手法が求められます.
フランスのブルターニュ地方にあるモン・サン・ミッシェルの話だったと思うけど(間違っているかも),沖合いにある寺院に干潮時にだけ歩いて行けるようになる.その砂州が消失だか陸地化だか(どっちだ!)しているというので問題になっていました.今はどういう事になってるんでしょうね.
砂州とは少し違いますが,砂浜が形成維持される機構を beachmollusc さんが詳しく調べられています.ご参考まで.
by Ladybird (2008-09-16 14:45)
<1877年に対岸との間に地続きの道路が作られ、潮の干満に関係なく島へと渡れるようになった。しかし、これによって潮流をせき止めることとなり、100年間で2mもの砂が堆積してしまった。急速な陸地化が島の周囲で進行しており、島の間際まで潮がくることは滅多になくなりつつある。かつての姿を取り戻すべく2009年には地続きの道路が取り壊され、2010年には代替となる新たな橋がかけられることが計画されている。>とウィキにありました。
http://myhome27.over-blog.fr/article-21838389.html
上のブログに1900年と2004年の比較写真がありますが、同じ日で満潮と干潮の時間に撮影してもかなり違うはずです。
モン・サン・ミッシェルはトンボロで陸につながっている島の代表です。道路ではなく、橋げた式にしておくべきでしたね。江ノ島や青島もトンボロですが、どうなっていたかな。あの地方は潮の干満差が半端でなく、潮汐発電が商業規模で行われているところがあります。自然エネルギー、特に海洋エネルギーの利用について講義していた当時、昔の情報ですので、今はどうなったているかわかりません。
沖縄の久米島の名所である「畳石」、柱状節理の断面が海岸の潮間帯に平坦に現れている珍しい地形です。これが近くで橋が建設されたかどうかで、砂が堆積しだし、埋没した事件があったことを思い出しました。その後どうなったか。
沿岸流に変化が起こることで海岸の砂は堆積の空間パターンを激しく変化させます。天橋立の場合は湾口砂州でしたね。もっとも不安定な地形の一つです。それを固定しようとしたら全部コンクリートで固めても一時的にしかできないでしょう。
by beachmollusc (2008-09-17 08:53)
そうでしたか.モン・サン・ミッシェルは陸続きになっていたんですね.フランス人は中国人と並ぶ自然破壊の天才ですから,いろいろ実験していただいて,その成果?を基に日本人はもっと自然と仲良くする道を選びたいものです.
英国コーンウォールのセント・マイケルズ・マウントのほうは船で渡るようです.こちらは道が消失したのか,もともと無かったのか?
>久米島の名所である「畳石」
そういう所があるんですね.想像するに北アイルランドのジャイアンツ・コーズウエイのようなものでしょうか.
砂浜ができる仕組みも,なかなか一筋縄でいかないようですね.ブログを楽しく拝見させていただいています.
by Ladybird (2008-09-18 02:41)
私のブログの砂浜侵食シリーズは難解らしいですが、突っ込みを入れていただければ、思い違いや説明不足を修正できますので、よろしく。
それにしても、東海地震が目の前に迫っている遠州灘の海岸に原発を建設した神経には驚きます。刈羽・柏崎は小さい規模の揺れで助かったようですが、東海地震は規模が上のクラスが来ますね。原発「倒壊」地震、になって歴史に残りそうな予感がします。風下になる東京首都圏の放棄が先か、東京直下型一発でのアウトがそれよりも早いか、とにかくヤバイ世界でしょう。
日本はフランスに負けていないと思いますが、つまらぬ世界一を競い合っても何もなりませんんね。
巨人の踏み石をご存知でしたか。あちらのは写真でしか知りませんが日本では日向市の海岸に日本一の柱状節理があります。馬ヶ背と言います。
http://www.pmiyazaki.com/hyugamisaki/umagase.htm
佐賀の七ツ釜、隠岐にある海苔田ノ鼻などと同じくらいでしょう。
私のブログでも馬ヶ背を紹介しました。キーワードで見つけてください。
by beachmollusc (2008-09-18 15:00)
拝見しました.馬ヶ背ですね.おもしろい景観です.ジャイアンツ・コーズウェイはアイルランドに住む巨人がスコットランドに渡ろうとして海に石を敷き詰めて道を造ろうとした,という伝説があるように,「馬ヶ背」よりは「畳石」のほうに,ニュアンス的には近いかもしれません.
砂浜が生成維持される仕組みは,本当にわかってないんですね.ダムができたから砂浜が減ったとよく言われますが,それが話の全てでは到底ありえないということがわかりました.通説俗説が蔓延すると,しばしば自然保護運動がねじ曲げられてしまいます.自然保護は,何がわかっていて,どこからが推測なのかを,しっかり見極める眼力が必要な分野になってきているようです.
by Ladybird (2008-09-19 22:20)
見かけのわかりやすい説明は、本質では嘘であっても、皆が信じ込むという傾向があります。
宮崎県に来てから地元の人たちとホタルのことを話題にすると、これまで相手にした範囲で100%の人がアワフキムシ(の幼虫)がホタルの幼虫であると信じ込んでいるようでした。時期的に一致し、それらしき場所に現れ、似たような姿をしていますから、ご先祖の誰かが、これはホタルの幼虫に違いないという「発見」をしたのでしょう。
新潟平野の場合、信濃川の放水路を造ってから平野部の前に広がっていた砂浜が侵食されてきた理由は、川から土砂が来なくなったため、と単純に説明されてきました。
実際には地盤沈下がもともとあって、そして石油と地下水の汲み上げで加速された地盤沈下が砂浜を海に引き込んでいたということです。川から流出した土砂が穴埋め(あるいは過剰堆積)をしていたので侵食が起こっていなかったが、放水路のおかげでバランスが崩れた、と見るとよくわかります。
日本の海岸侵食、砂浜消失問題の原点で認識を誤ったことが、これまでの全国展開の侵食につながっていると思います。
Ladybirdさん,高知平野の前の砂浜が遠浅にならない理由が説明できますか。土佐湾の海岸侵食問題は、基本的に地盤が沈降傾向にあるからでしょう。
by beachmollusc (2008-09-20 11:00)
アワフキがホタルの幼虫だという俗説は,かなり伝統的なものらしいですね.ただ,高知では聞いたことがありません.ウバタマムシがタマムシのメスであるという俗説は聞いたことがあります.いずれ消えて行く,伝統的な習慣のようなものだと思います.
テレビの動物番組などで,動物の行動や習性などに安易な説明をつけることが今もされていて,これは有害だと私は思っています.わからない事をさも分かったことのように,何とでも「説明」をつけてしまう.マスコミの悪しき習慣です.
地盤沈下も考慮せねばならないとすれば,砂浜消失の原因探しも一筋縄でいきませんね.たしかに,高知平野(香長平野)の海側に砂浜はありますが,遠浅といえるような海岸は少ないかもしれません.仁淀川の河口ふきんは,けっこう遠浅かもしれません.このところ海にあまり行ってないので,本当はよく知りません.
足摺方面には入野(いりの)とか大岐(おおき)の浜など,これも遠浅かどうかは知りませんが,きれいなビーチがあります.足摺方面は,beachmollusc さんのブログによれば,沈降ではなく隆起しているんですよね?
by Ladybird (2008-09-22 04:02)
大岐の浜はお気に入りで、何度も現地に出かけて調査もしています。
ポケットビーチというカテゴリーの浜で、堆積傾向が強く、湾奥の海岸林の前に建設された垂直護岸がほとんど砂で埋まっていて見えません。
この浜には小川が流れ出ているだけで、砂の供給は少ないでしょう。
おそらく隆起傾向にあって、侵食の逆の堆積の力がかかっていて、沖から湾内に向けて来る波浪の力で砂が寄せられていると見ています。
すぐ近くにもう一つサーフィンビーチ(下の加江)があります。一回見ただけで、そこは興味を失いました。
入野海岸ですが、侵食傾向かもしれません。海岸林と汀線の距離が短いので、いずれ大きな台風で侵食が進み、それを護岸で受けると砂浜が消えるという全国で起こっている現象が始まるかもしれません。砂浜の保全を優先させるか、海岸林を優先させるか、悩ましくなるでしょう。
南海地震津波の対策としては保安林がより切実かもしれませんが。地元で決めることです。意思決定をするときに土建事業優先にするとまずいでしょう。
土佐湾西部にはもう一つ、小室の浜があります。とてもよい海岸ですが、ここもコンクリート化が進んでいて、いずれ砂浜が消えるかもしれません。
東の方では夜須とかは完全に人工ビーチです。
東洋町の生見海岸は大岐と同様な状態ですが、ものすごい高さの堤防があって、逃げ道が限られているので、大津波で内陸は守られても、海側では時期と時間によっては大災害になると考えています。
仁淀川のあたりの浜は見ていません。河口水門に圧倒されただけでした。
私のブログで高知のそれぞれの砂浜海岸レポートをやりました。
来月は宮崎から東京に車で向かう途中で大岐の浜に立ち寄る計画です。
by beachmollusc (2008-09-22 19:02)
高知県の砂浜について,たいへんお詳しいですね.たいへん参考になります.私も海は好きですが,あまり問題意識をもって見たことがありませんでした.砂浜が維持される仕組みについて,私も含めもっと多くの人が関心をもつ必要がありそうです.
観光立県といいながらお祖末な観光振興策を連発している高知県ですが,やはり「海」は観光の重要アイテムです.特に売り物は,桂浜から仁淀川河口に至る長い砂浜に沿った海岸道路でしょう.
また,夜須の東隣に芸西村の長い海岸線(琴が浜など)があって,この景観を売り物にしているらしい喫茶店もあります.これらの砂浜も陸側はコンクリートの長い塀で仕切られていたように記憶しています.地元民?としては,大切にして欲しい景観であり,そうした砂浜がどのように維持されているかは,もっと関心がもたれて良い問題だと思います.
by Ladybird (2008-09-24 01:06)
>桂浜から仁淀川河口に至る長い砂浜に沿った海岸道路でしょう.
この道路は自分では走っていないのですが、空中写真でチェックしたら海岸べったりですね。海上保安庁が公開している空中写真です。
http://www4.kaiho.mlit.go.jp:8082/Air_code/ASP/ps_hyouji.asp?kanku_htm=s_index08.htm&hyouteizu_id=5033
上空から見た様子しかわかりませんが、この道路の海側は津波対策の護岸が造られていないのでしょうか。室戸の周囲では海岸道路を走っていたとき、海側の壁が高くて海はほとんど見えませんでした。
しかし、この写真で見える海岸、見事に突堤の列が並んでいますね。
高知県の港湾サイトではアカウミガメを持ち出して自然保護を謳っていましたが、護岸の消波ブロックに挟まって動きがとれないカメさんを救い出す「美談」があって、苦笑するしかありません。
by beachmollusc (2008-09-25 20:46)
>桂浜から仁淀川河口に至る長い砂浜に沿った海岸道路
道路そのものが砂浜から見上げるような高さの所を走っています.この落差がコンクリート護岸です.道路の海側の壁は低く,道路を走る乗用車から海が見えます.長浜という地名の通り,まっすぐな長い浜ですが,コンクリート護岸から波打ち際までの距離が短い,貧弱な浜ですね.
消波ブロックがあれば,ウミガメがブロックに挟まる危険性は高いでしょうね.
by Ladybird (2008-09-27 22:51)
なるほど、やはり護岸の上に建設された海岸道路でしたか。高知県の海岸には南海地震津波を想定した、過去の波高よりも高い護岸を建設しています。
護岸に直接強い波が当たると、裾の部分で砂が巻き上げられ、それが海岸に平行な沿岸流で運ばれやすくなります。つまり岸辺に砂が止まってくれません。どうしても砂浜がやせますので、あの手この手の構造物で砂を足止めしようとしていますが、どこかを止めるとその下流でますますやせることになり、河口か岬のところまで行って終わるまで玉突きで砂浜侵食となります。これは砂の供給がなく、流されるだけの場合ですので、次の手が砂をどこからか運んできて来て浜にぶち込むわけです。人工養浜というわけです。
港湾の浚渫砂や河川で堆積しているのを掘り下げる目的で出る砂の処分方法としてうってつけなので、人工干潟だとか覆砂という評判が悪い使途よりも行政に好まれます。
ところで、Google Earthの画像で、宮崎空港の海に突き出た滑走路の南側の赤江の海岸を見たらびっくりしますよ。2006年撮影の映像ですが、現在地元サーファーのグループが行政訴訟をやっている理由がよくわかります。
by beachmollusc (2008-09-29 14:04)
桂浜から仁淀川までは観光を意識した海岸道路で,仁淀川ふきんを別として,まことに貧弱な浜しかありません.一方,芸西村ふきんの直線的な海岸は,もう少し広い砂浜があります.このあたりは道路が内陸を通っています.いずれも,お説の通りです.
芸西村ふきんにも確か大きなコンクリート壁があったと記憶していますが,こんど現地を通るときに調べてみたいと思います.
浚渫砂の処理のためになどと言わないで,砂浜を造成して自然保護に貢献しているかのように言い繕うのは,本当に罪が深いと思います.最近の自然保護論議が,にわかに賛成できない部分を多く含んでいる理由は,多分そのような仕組みがあるからなのでしょう.
Google Earth をダウンロードしてみましたが,インストールできないようです.必要なソフトがインストールされてないから,のようです.
by Ladybird (2008-10-01 05:06)
下司孝之さんから,次のコメントを頂いています.ここに書き込もうとしたけれど,拒否されてしまったそうです.下司さん,お手数おかけしました.
(以下転送)
> 科学的な考察が必要だということですね、ダムは無駄だからダムが土砂を堰き止めて砂利が流れ出てこなくなったというだけでは説明が付かないことなのだ
> ということだけは分かりました。
>
> コメントは以下ブログの9月30日に記載をしました。
> http://white.ap.teacup.com/shinbori/
(転送おわり)
by Ladybird (2008-10-01 14:19)
下司さん,ブログを拝見しました.
桂浜の五色石が,どういう仕組みでなくなってしまったのか,私も不思議に思っています.ダムが原因かもしれませんが,浚渫した砂土で人口浜を造ったり,「ヘドロ」を埋めて水質を浄化すると言って海にまき散らしたりと,人間の無思慮な自然いじりが海岸を痛めつけているようですね.砂浜が変化する原因について,今後はもっと注意を払っていきたいと考えています.
by Ladybird (2008-10-01 14:25)
桂浜を訪れた記憶は忘却のかなたです。学生時代、40年以上前でした。具体的にイメージはのこっていませんが、ジャリ浜だったというかすかな記憶があり、今の砂浜研究対象の場所から無意識のうちに除外して、最近数年は何度も高知市内を素通りしただけでみていません。
仁淀川の河口は桂浜から離れているように思われます。また間にあるのは砂浜海岸ですね。鏡川は浦戸湾がトラップとなっていますからジャリを運び出すように見えません。どうやってジャリ浜が出来ていたのでしょうか。
こちらでは宮崎平野が北で途切れ、山地が海に迫る都農あたりでジャリ浜が出来ています。
玉ジャリの海岸は和歌山に多く、紀伊半島の東側には七里御浜http://www.mikumano.net/meguri/7rimihama.html
西側には煙樹ヶ浜http://www.kumano-yorimichi.com/area1/enjugahama.html
があります。
広い平野が出来ない、山から海にすぐ出てしまう河川がジャリを運び、浜に堆積してジャリ浜ができます。
by beachmollusc (2008-10-02 08:19)
気になったので高知平野の全体的な姿をGOOGLE EARTHの画像で様々な縮尺で見ました。
高知平野は明らかに沈降性の地盤の上で、谷間が土砂で埋め立てられている地形です。沈降と堆積のせめぎあいで、堆積が勝っていて地盤が安定している間は維持される平野と海岸でしょうが、沈降が続き、堆積(河川からの供給)が減少すれば「海岸侵食」は自然の摂理で進むでしょう。
過去の平野部の海岸保全管理の思想に「地盤変動」の要素が含まれていなかったようです。自然の力に技術力で対抗出来るかどうか、見極めるべき時代でしょう。海岸平野全体が海に向かって沈む場合、調整できるだけの時間と資源があるかどうか、です。護岸はただの絆創膏であって、骨折の治療には役に立ちません。
1946年の大きな地震の時に沈降した後で地盤はゆっくりと上昇回復してきたのでしょうが、次の変動が必ず近いうちにがやって来ると想定されています。その時に地盤が沈み、海岸線が後退する現象を認識して計算しているのでしょうか。
by beachmollusc (2008-10-02 08:56)
五色の石は仁淀川から来たもの,だろうと思います(他にソースを思い付かない).しかし,そうだとしても,仁淀川から桂浜までの距離とか,桂浜にあったらしい粒径の大きい五色石だとかの起源が,うまく説明できませんね.
昔の高知市は海(浦戸湾)がもっと近くにまで来ていました.堤防を築いては陸地を広げることを繰り返して現在に至っているといってよいでしょう.
>次の変動が必ず近いうちにがやって来ると想定されています。その時に地盤が沈み、海岸線が後退する現象を認識して計算しているのでしょうか。
それは大変!
by Ladybird (2008-10-04 01:21)
五色石は桂浜土産でした。五色石とカルフォルニアまで続く水平線、松と竜王岬お月さんが売りでした。
桂浜で人為的なものとしては水族館と貝類館でした。私は貝に興味がありましたので、台風後の早朝には桂浜に行きました。
桂浜を有名にしたのは大町桂月によるところが大きかったように思います。
彼の作品と、一世風靡のヨサコイ節『月の名所は桂浜』のフレーズ、なにもなくても観光スポットになるいい教訓に思います。
五色石で思い出すのは『吉野の青石、仁淀の赤石』だったか、吉野川と仁淀川に見られる岩石を指す言葉ですが、桂浜の五色石は仁淀川から土佐湾の潮流にのって打ち上げられたのではなかったかと思っていました。
桂浜で失われたのは五色石と貝類館、貝類館は10年も前に経営不振で無くなって残念です。
五色石は観光客でも拾えたので、いいお土産だったのですがこの復活が土佐観光に活を入れられるとしたら面白いと思います。
手立ては無いものでしょうか。
by 下司孝之 (2008-10-04 10:43)
人工はダメとは言わないけど、これ以上自然海岸減らして欲しくないような気が・・・。海岸も人工(人の生活とかのための)と保全と保護とバランスよくできないかしら?
by ayu15 (2008-10-04 11:45)
下司さん,こんにちは.
四万十川は灰色の石だけど,仁淀川は五色の石だ,と流域の人は自慢します.
横浪半島の太平洋側にある「五色浜」という猫のヒタイほどの浜は,名前通り五色の砂です.砂の起源はわかりませんが,仁淀川かもしれません.
貝類博物館は残念でした.土佐清水市に「海のギャラリー」というのもあるのですが,少し応援せねばと考えています.
by Ladybird (2008-10-05 02:48)
ayu15 さん,おひさしぶり.
いま海岸は土木事業のやりたい放題という感じですね.もっと市民が厳しい目で監視する必要があると思います.
自然の砂浜がどのように維持されているのか,自然の摂理をもっと深く知る必要があります.このブログの主要テーマである「人は自然を造れない」を,もっとアピールして行きたいものです(最近少しサボってます).
by Ladybird (2008-10-05 02:55)
一昨年訪れたのですが、足摺岬の観光がさびれきっている姿を見て驚きました。みやげ物の店がほとんど閉まっていました。
貝類を展示した比較的新しい施設がギャラリーでしたね。
個人的なコレクションを展示した、こだわりが読み取れました。
40年余り前に土佐清水市でこのコレクションをされた方のところにお邪魔したようなかすかな記憶があります。
サンゴ博物館はほぼ昔のままでした。これには(本来いるべき)学芸員がいないようで、展示がお粗末になっていました。サンゴ礁のサンゴも見せていましたが、表示の間違いが多く、むしろ見せない方がよいくらい。教育・啓蒙ではなくて客寄せだけの施設でした。深海の自然を紹介し、その厳しい自然に生きている宝石サンゴ類のことをちゃんと紹介して欲しかったと思います。サンゴだけがいるわけでもないし、深海にも生態系があるのです。
昔、高知の地元新聞に土佐の宝石サンゴについてのシリーズの記事があったことを思い出しました。弟子にサンゴ関係の資料を全部譲って今手元に残っていませんが、とても詳しく掘り下げて情報を整理していたと思います。また、海洋深層水で飼育実験をやっていたと思いますが、行政がやっていたから、何も進んでいないかも知れません。最近これについて何か話題はありますか。
by beachmollusc (2008-10-05 06:19)
足摺のアートギャラリーを訪問したのは3年前の間違いでした。
私のブログで:
http://beachmollu.exblog.jp/1349883
われながら、ずいぶん厳しいコメントを書いたな、と思います。
アートは個人的な主張を表に出すことですから、訴える力があれば見る人の共感を呼び起こすでしょう。
博物館は、そこで何か新しい世界を知ることができるような展示の工夫が必要です。江戸時代の見世物興行のメンタリティのままでは悲しい。
by beachmollusc (2008-10-05 06:32)
beachmolluscさん,コメントありがとうございます.
土佐清水市の貝の博物館「海のギャラリー」は廃止寸前まで行ったのですが,その後,建築家の方たちが中心になって,建築家の視点からの保存が提案されたり,実施されています.もっとナチュラリスト関係の意見を入れてもらうようにして,建築家と恊働で盛り立てて行くのが望ましいと考えています.
珊瑚の博物館にしてもご指摘の通りで,「博物館はモノが展示してある場所」で「客寄せ」施設だという,発想そのものが博物館行きのような考え方が今も支配的です.土佐清水市だけではなく,高知県の文化環境部の部長クラスの人が「『観光』を抜きにして博物館は語れない」と公言する始末です.
「まず博物館としての足腰を固めること.その結果として観光が付いて来るものだ.観光は結果であって目的であってはならない」と私は主張しています.出発点で本末転倒しているので,高知県は何をやっても先細りなんです.
遠い昔ですが,珊瑚の研究施設があったように記憶しています.いい事をやっているな,と感心したものですが,最近は噂を聞きません.まだ存続しているのかどうかも知りません.
サンゴとは無関係ですが,一般に深層水関係の研究は,大学でやっている話を時々聞きます.深層水がらみだと補助金がとりやすい.研究者はカネが欲しい.大学の場合は大体そういう構図なので,その方向に本気で押し進めて行こうなどと考えている研究者は少ないのでないでしょうか.
お答えになっていませんが,私が知っているのは,その程度のことです.
by Ladybird (2008-10-05 12:05)
土佐清水市の貝の博物館「海のギャラリー」は特異な外形でしたが雨漏りが心配されていました。
そこに洋画家の黒原さんが集めた貝類は見事なものです。御畳瀬でも高知大の実習で漁師さんに網にかかった色々なものを貰っていましたが、極めつけは4円切手になっているベニ翁エビスでしょう。
切れ込みの入った巻貝で見るからに立派なものです。まさしく長者貝です。
保存がなされている様子で、ほっとしました。
宇佐の五色の浜は今度見に行ってきます。半世紀前は潮焼けがしていない土佐湾の海岸ですから、波打ち際もびっしり海草や貝が打ち上げられ、岩の多い住吉の海岸もまるで水族館でした。
子供たちも自然、海辺に心ひかれていたわけです。
自然の原型が分からなくなる前に、なんとか解決の糸口だけでも残してゆきたいものです。
by 下司孝之 (2008-10-05 21:27)
『高知市遊覧船』が桂浜の北側、料亭フクミミ近くの磯に発着場を確保しようと現地調査をした9月23日の日記に『五色石』と潮流について料亭側から聞いた話を書いています。
http://www2.ezbbs.net/16/kirari/
石は今も少しは流れてきているようですね。
by 下司孝之 (2008-10-07 21:33)
beachmolluscさんも指摘されているように,仁淀川と桂浜との間の砂浜になぜ五色石がないのか,なぜ桂浜だけが五色石だったのか,といった問題もあります.なぜ対岸の種崎には五色石がないのか,も.
それ以前に,事実関係として「桂浜だけが五色石」は正しいのか.また五色石といっても砂利なのか砂なのかといった問題もあります.私の記憶では,波打ち際は砂でしたが,陸地側の坂道を降りたあたりには五色の砂利もあったかもしれません.
「桂浜に五色石の復活を!」というプロジェクトでも組んで,調査してみたいですね.いや,それより先に,高知新聞あたりで取り上げてもらって,古老の話を集めてみると良いかもしれません.
by Ladybird (2008-10-07 22:11)
桂浜の昔の様子を見るために古い空中写真のアーカイブを見ていましたが、面白いことに気がつきました。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/searchGrid.jsp
上のURLから検索してUSA-M550-1-11 昭和22(1947)年米軍撮影 の空中写真を見ることが出来ます。
これと新しい写真を別のサイト:1975年国土地理院の写真
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/csi-75-9/c1b/csi-75-9_c1b_15.jpg
さらに海上保安庁が提供している1996年の写真
http://www4.kaiho.mlit.go.jp:8082/Photo_gallery/Heavy/1996/199610885.jpg
以上から、桂浜の現在の駐車場部分が昔の浜であったこと、そして現在の浜は、突堤が建設された後で堆積して海岸が広がったことがわかります。
アーカイブで1962年の写真を見ると、浜がかなり広がっていますが、駐車場はまだなかったようです。1966年の写真で浜がさらに広がっています。
私が現地を訪れたのが1963年ですが、当時、竜馬の像は浜の中にあったような記憶があります。足元がジャリ砂の浜だったようにかすかな記憶です。
古老の話だけでなく、昔の陸上写真が残っていれば、桂浜の過去の姿とその変化の歴史を追跡できるでしょう。
by beachmollusc (2008-10-11 21:02)
興味深い資料のご紹介ありがとうございます.桂浜や対岸の種崎も含め,付近の海岸線の変遷がわかりますね.
下司孝之さんから,次のコメントを頂いています.コメント欄への書き込みを,このブログが受け付けてくれないようです.下司さん申し訳ありません.コメントありがとうございます.ここに転載しておきます.
(以下転載)
浜の東の浜は急速に砂利が堆積したことは本当です。
明治の頃は山のはまで潮が来て種崎よりの今も残っている岩石は海の中でした。
当然、駐車場も、もっと西の土産物屋も海の中です。
この土産物屋は桂浜の南海岸にありましたが、1980年頃だったか、記憶は曖昧ですが、桂浜の北側の土砂の堆積地に移設しました。
水族館のみが南海岸に残ったのです。
龍馬の像はかつて、土佐の青年達が募金をして山の上に立てましたから浜には立っていなかったのです。
(転載おわり)
by Ladybird (2008-10-12 04:12)
浜で竜馬像を見上げたという記憶は幻だったようです。
フォローしていただき、ありがとうございます。
米軍撮影の写真は南海地震津波の翌年11月の状況を示しています。
オンラインでは解像度が低い写真なので詳細は見えませんが、
写真をプリントで購入すれば、かなり詳しい被災の様子を見ることが
できるはずです。
ハザードマップよりも、写真を見る方が迫力があるかもしれません。
ちなみに、1946年の地震と津波の規模は、その前の2回(安政南海
1854年と宝永南海1707年)よりも小さく、津波の波高も低かった
そうです。
桂浜の堆積現象は対岸でも同様で、導流堤建設が引き金になって
波当たりや流動が変化した影響を受けたようです。そのために、
仁淀川の方向の海岸で砂浜が痩せ、それに反応して突堤の列が
建設されたと思われます。
浦戸湾と外海を結ぶ水路では、桂浜の導流堤でブロックされた砂が
堆積して埋まり、浚渫船が頻繁に稼動しているのではありませんか。
by beachmollusc (2008-10-12 08:34)
1947年の写真はそういう意味があったとは気付きませんでした.
>浦戸湾と外海を結ぶ水路では、桂浜の導流堤でブロックされた砂が堆積して埋まり、浚渫船が頻繁に稼動しているのではありませんか。
浦戸湾内や湾口ふきんの浚渫がどれほどの頻度で行われているかは,私のほうではすぐ調べられません.しかし湾口の形状をこうして見るにつけ,いかにも常に浚渫が必要のようですね.
1975年の写真では浦戸湾から吐き出された水が東に向かって移動拡散していく様子がわかる気がします.その先には今は高知新港が立ち塞がっています.
昔の桂浜は狭かったというお話を聞くと,確かにそのほうがナチュラルだと思います.
桂浜にあった五色の石は,私の記憶がマボロシでないとすれば,仁淀川とは別のところに起原を求めないといけないのかもしれません.
by Ladybird (2008-10-14 05:56)
浦戸にお住まいの女性の方が、1946年の南海大地震の祭には浦戸湾口の海峡の底が見えたといいます。
にわかに信じがたい話ですが、浅かったという表現なら少し合致するのかもしれません。もう亡くなられたからこの方からは聞き返せません。
浦戸湾内航路の浚渫は今も行なわれていますから、県の事業所に聞けばある程度分かると思いますよ。
土佐湾沖の黒潮があり、湾内流が東から西に流れているとして、湾口や河口がある中で、仁淀の石がどのように運ばれてくるのかを私は知りません。桂浜の五色の石は実在しますし、種崎側に今も見られるというのですから、起源は知っておられる方が居るのではと思います。
by 下司孝之 (2008-10-14 14:00)
下司さんからのメッセージを転載します.またブログが受け付けてくれないそうです.
(以下転載)
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beachmollusc さんへ
>私が現地を訪れたのが1963年ですが、当時、竜馬の像は浜の中にあったような記憶があります。足元がジャリ砂の浜だったようにかすかな記憶です。
by beachmollusc (2008-10-11 21:02)
>龍馬の像はかつて、土佐の青年達が募金をして山の上に立てましたから浜には立っていなかったのです。
(転載おわり)
by Ladybird (2008-10-12 04:12)
>浜で竜馬像を見上げたという記憶は幻だったようです。
フォローしていただき、ありがとうございます。
beachmollusc (2008-10-12 08:34)
いえ、浜ではないけれど浜から見上げれます。
5階建てぐらいの丘の上の高い台座に鎮座していますから、浜から見上げれば見えます。
4月から浦戸湾一周の遊覧船が出ていて、桂浜沖から龍馬像を見やって帰路につきます。高知市から所要時間は1時間です。
by 下司孝之
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(転載おわり)
by Ladybird (2008-10-17 01:59)
10月16日にちょっとだけ桂浜に立ち寄って、現状確認をしてきました。
浜でアイスクリンを売っていた方に聞いたら、五色石は仁淀川から流れてきたものだと説明してくれました。
五色石をちりばめた遊歩道を歩き、駐車場の下の浜に大きな落差があることを見てから、砂浜上部の海岸植物の生育状況などをチェックしました。
竜馬の像は建立から80周年ということですから、1946年の南海地震の時にはすでにあったわけですね。海岸の変化をじっと見守ってきて、その変化の激しさに驚いていることでしょう。
by beachmollusc (2008-11-02 18:55)
桂浜に立ち寄られたのですか.私はまだ行きそびれていて,料亭フクミミふきんに今もあるという五色石などをチェックしていません.
それにしても五色石の仁淀川起原説はずいぶん広く流布しているようですね.
じつは,もう1つの宿題のほうを実行しました.芸西村の長い海岸線の陸側に護岸があるかどうかを調べることです.この長い海岸には川の流出口も含まれますが,川にはコンクリートの護岸があります.しかし,それ以外の場所では人家の集落や道路を海から隔てるコンクリート護岸は見当たりません.
海から陸に向けて,まず砂浜,次いで松林,人家,道路,と続くわけですが,松林から人家のあたりは土地が高くなっています.丘というべきか,自然の堤防というべきか,そういう堤防の上に人家が並んでいるというような構造です.
つまり芸西村の長い海岸は川の河口ふきんを別としてコンクリート護岸がなく,テトラポッドなども見当たらず,おそらく自然のままの砂浜だと思います.そうだとしたら,これは今や高知県ではメッタに見られないホンモノの砂浜だと言えるかもしれません.
以前にも書きましたが,この長い砂浜を西から眺める場所にあるのが「いちとにぶんのいち」(1½)という喫茶店.そして東から眺める位置にあるのが「ロックグリーンカフェ」という喫茶店です.どちらから眺めても美しい,大切にして欲しい景観です.
若干の希望的観測も含め,今のところそういうふうに考えています.
by Ladybird (2008-11-03 01:11)
芸西村の砂浜海岸についてオンラインで海上保安庁の1996年撮影、空中写真を見ました。
Ladybirdさんが指摘されたように、今の高知県では珍しい自然海岸が残されているように見えますので、私の研究対象であるチョウセンハマグリの集団も残っているかもしれません。素通りしてしまったのが悔やまれます。
この海岸に沿った道路を建設しなかったことが幸いしたのでしょう。
松林の海岸林部分は、おそらく砂丘だったと思われます。砂浜から陸に向けて風で飛ばされる砂が堆積して盛り上がります。それが内陸を結果的に守ってくれるわけで、砂丘と海岸林を良好な状態、できるだけ自然のままに維持することが海岸保全の基本でしょう。河川敷が洪水のバッファーになることと同様に、砂丘が高波や津波に対するバッファーゾーンになります。
by beachmollusc (2008-11-06 18:53)